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申命記 3章1〜11節     2016年1月10日

これらは皆、高い石がきがあり、門があり、貫の木のある堅固な町であった。このほかに石がきのない町は、非常に多かった。(5)

 一つの戦いが終わると、またすぐに次の敵が襲いかかってきました。バシャンの王オグです。そして、イスラエルの民はここでも主の約束に信頼して勇敢に戦い、オグを撃ち破ることができました。
 実際には、このイスラエルがヨルダン川の東側で、ヘシボンの王シホンとバシャンの王オグを撃ち破ったというニュースは大きな驚きと恐れをもって周辺諸国に伝わります。それはシホンやオグが非常に力のある王であり、またその町々がとても高い石垣をもった堅固な町々だったからです。
 イスラエルの民の中にも恐れがあったと思います。しかも、相手が迫ってきて、やるかやられるかという極限状態で、戦わないという選択肢を選ぶことはできない、まさに、今、出て行って戦わなければならないという状況があったからです。しかし、主はイスラエルの民を励まし、御言を与えて進ませられたのでした。

申命記 3章12〜22節     2016年1月11日

あなたがたの神、主はこの地をあなたがたに与えて、これを獲させられるから、あなたがた勇士はみな武装して、兄弟であるイスラエルの人々に先立って、渡って行かなければならない。(18)

 ヨルダン川の東側でイスラエルがとった町々はルベン族、ガド族、マナセの半部族に嗣業の地として与えられました。しかし、それはルベン族たちが、もう自分たちに割り当てられる土地は与えられてしまったのだから、自分たちはヨルダン川を渡らなくていいということではなく、彼らは自分で言い出したことでもあったのですが、彼らは家族は残して、ヨルダン川を渡り、他の部族の人々が自分たちの土地を攻め取るまで、先頭に立って戦わなければなりませんでした。
 自分が恵まれ、自分とその家族がよければいいということではありません。私たちは共に歩む者たちとして、お互いの重荷を共に負い合い、お互いのために共に戦うのです。
 ヨルダン川の西側でも多くの戦いが待っていることでしょう。しかし、主ご自身が共に行って、イスラエルのために戦おうとしておられました。

申命記 3章23〜29節     2016年1月12日

しかし、おまえはヨシュアに命じ、彼を励まし、彼を強くせよ。彼はこの民に先立って渡って行き、彼らにおまえの見る地を継がせるであろう。(28)

 モーセは、八十歳の時にミデアンの地で羊を飼っていたところから召し出され、イスラエルの民をエジプトから救い出しました。この四十年にわたる荒野での歩みを導いてきたのはモーセでした。そもそも、イスラエルの民が主に信頼して一筋に生きていたら、四十年間の荒野の歩みは必要なかったでしょうし、モーセも約束の地までイスラエルの民を導くことができていたはずです。
 しかし、モーセはヨルダン川の東側で死ぬことになっていました。モーセとしては何とも無念だったことでしょう。またモーセはこの時も、まだ目も耳もよかったようです。その意味でもまだまだできる・・・という思いは強かったと思います。けれども神は「お前はもう足りている」とおっしゃって、後継者ヨシュアを励ますようにと語られたのでした。私たちの生涯は長くても百二十年でしょう。その短い一生で一人ですべてのことをし尽くすことはできません。歴史を作っていくとは後継者を育て、バトンタッチしていくことでもあるのです。



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