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民数記 28章1〜15節 2015年12月22日 |
あなたがたは香ばしいかおりとしてわたしにささげる火祭、すなわち、わたしの供え物、わたしの食物を定めの時にわたしにささげることを怠ってはならない。(2) 四十年の終わり、カナンの地に入って行く前、そしてモーセがこの地上の生涯を終える前に、主はもう一度、モーセに、イスラエルの民が守るべきことについて語られます。今日の箇所には毎日ささげるべきもの、週に一度安息日ごとにささげるべきもの、そして毎月、月の初めにささげるべきものについて語られています。それは決して特別なことではありません。日ごとに週ごとに月ごとに、神にあがなわれて、その民とされた者たちが守るべきことがあるのです。
「わたしの食物」と神は語られます。もちろん、神は何かを食べないとお困りになるようなお方ではありません。神はすべてを創造し、すべてを治めておられるお方です。私たちが何かをしなければ、何かを差し上げなければ、何かができなくなってしまうということでもありません。しかし、主は私たちのささげものを喜び、それを待ち望んでくださるのです。主がそれを求められるのです。
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民数記 28章16〜25節 2015年12月23日 |
正月の十四日は主の過越の祭である。またその月の十五日は祭日としなければならない。七日のあいだ種入れぬパンを食べなければならない。(16〜17) 正月というのは、イスラエルにおける宗教上の一年の始まりであり、今で言うと三月後半から四月にあたります。そして、この正月はエジプトで奴隷であったイスラエルの民が解放されたことをその起源としていました。ですから、この正月の一番大きな行事は十四日の過越の祭でした。エジプト中の初子が死ぬという大きな災いが起こる中、イスラエルの民が守られ、救われたことを記念した祭でした。この七日間は、イースト菌を使わないパンを食べることになっていました。最初の出エジプトの時、その解放の出来事が突然に起こったので、イースト菌を入れて発酵させる時間がなかったことに由来すると共に、イースト菌は少量でも粉全体に影響を与えることから、汚れを象徴するものとされたのです。
この出エジプトこそが、イスラエルの歴史の原点でした。私たちの生涯においても、罪人だった私が、主イエスの贖いを信じることによって救われたということが、いつも戻るべき原点であることを覚えていたいと思います。
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民数記 28章26〜31節 2015年12月24日 |
あなたがたは七週の祭、すなわち新しい素祭を主にささげる初穂の日にも聖会を開かなければならない。なんの労役をもしてはならない。−あなたがたは燔祭をささげて、主に香ばしいかおりとしなければならない。(26〜27) 次に覚えるべき祭は、七週の祭です。過越の祭から七週間、五十日目の祭でもあるので、五旬節(ペンテコステ)とも言われました。これは初穂の祭とも言われ、その年の最初の収穫を主にささげる時でした。これには、一番最初のものは主のものとして主に献げるという意味がありました。このことは私たちの献げる姿勢について大切な事を教えてくれます。私たちは余ったからささげるのではありません。主に与えられたものの中から、まず最初に良いものをささげるのです。もちろん、主は私たちのささげものの多少によって一喜一憂されるようなお方ではありません。しかし、私たちの献げる心を見ておられるのです。そしてこの初穂の祭は、この後に続く豊かな収穫を予感させるものでした。
またこの七週の祭は、エジプトから導き出されたイスラエルの民がシナイ山で律法を与えられた日としても大切にされるようになっていきます。
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