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民数記 21章1〜9節 2015年12月8日 |
そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。(8) ネゲブに住んでいたカナン人アラデの王との戦いに大勝利をおさめたイスラエルの民でしたが、エドムの領地を通ることができず大回りする中で、不平が出てきます。「その道に堪えがたくなった」のでした。イスラエルの民はモーセにつぶやき、「死にそうだ」と叫び、「食物も水もない」と言います。厳密に言うと食物がなかったわけではありません。マナはずっと与えられていました。しかし、民はマナを「この粗悪な食物」と言います。それはモーセに対するつぶやきであると共に、いやそれ以上に神に対するつぶやきでした。主は火のへびを民に送られたので、多くの民がかまれて死にました。民はモーセに対して罪を認め、主に祈ってほしいと懇願します。神は青銅のへびを作ってそれをさおにかけて置くようにと命じられます。たといへびにかまれてもその青銅のへびを仰ぐ者は生きたのでした。この青銅のへびは十字架にかけられた主イエスを指し示しています。主を仰ぎ見る者は生きるのです。
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民数記 21章10〜20節 2015年12月9日 |
彼らはそこからベエルへ進んで行った。これは主がモーセにむかって、「民を集めよ。わたしはかれらに水を与えるであろう」と言われた井戸である。(16) イスラエルの民は、主が約束されたカナンの地に向けて旅を続けます。その途中に彼らはベエルを通ります。このベエルは荒野の中の宿営地でした。そこにはもともと井戸がなく、水を得ることができませんでした。しかし、神が水を与えると語られ、民の指導者たちがそこを掘ると水が出たのでした。そこでは「つかさたち」「民のおさたち」が先頭に立って、井戸を掘りました。必ずしも井戸掘りのために必要な道具がそろっていたとは思いません。井戸掘りのために笏とつえが用いられました。笏とつえということから分かるのは、あまり深く掘ることなしに水が出て来たのだろうということです。
いずれにしても、その地は、イスラエルの民にとって忘れることのできない地でした。主が水を与えると語られ、そのために指導者たちが率先して井戸を掘った時に、彼らの命にためになくてならない水が与えられた地、神の御業を思い起こさせる地だったからです。
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民数記 21章21〜35節 2015年12月10日 |
主はモーセに言われた、「彼を恐れてはならない。わたしは彼とその民とその地とを、ことごとくあなたの手にわたす。あなたはヘシボンに住んでいたアモリびとの王シホンにしたように彼にもするであろう」。(34) イスラエルの民は死海・ヨルダン川の東側に広がるアモリ人の王シホンの地を通らせてほしいと許可を求めたのですが、シホンはそれを許さず、かえって民を集めてイスラエルに戦いを挑んできました。普通に考えるなら、イスラエルには勝ち目はなかったのだと思います。しかし、神はイスラエルに勝利を与えてくださいました。
イスラエルに次の敵が戦いを挑んできました。バシャンの王オグです。シホンとの戦いに勝利したイスラエルでしたが、決して自分たちの力を過信はしていませんでした。イスラエルの民は、これから先、さらに厳しい戦いが待っていることを思わずにはいられなかったことでしょう。しかし、主はモーセに「彼らを恐れてはならない」と語られます。これから向かっていくバシャンの王オグとの戦いにおいても主は勝利を約束してくださったのです。もちろん、戦いが必要でなくなってしまったのではありません。主に信頼して出て行かなければなりませんが、主が勝利をその手に与えて下さると約束してくださったのです。
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