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民数記 7章1〜11節 2015年11月7日 |
しかし、コハテの子たちには、何をも渡さなかった。彼らの務は聖なる物を、肩にになって運ぶことであったからである。(9) モーセが幕屋を建て終わり、祭壇やすべての器物を聖別したとき、イスラエル十二部族の長たちが供え物を主のもとに持ってきました。ささげられたのは、幕屋を運ぶために必要な車であり、車を引く雄牛でした。車は六両、雄牛は十二頭です。そしてこれらのささげものはレビ人たちがその職務を全うするために渡されました。
しかし、その車の分配は、レビ族の三氏族、ゲルション、コハテ、メラリで同じではありませんでした。ゲルションには車二両と牛四頭、メラリには車四両と牛八頭、コハテには車も牛も与えられませんでした。ゲルション族は布関係を運び、メラリ族は柱、横木、台座などを運びました。ゲルションよりメラリの方が重いものが多かったことが分かります。そしてコハテ族に車も牛も与えられなかったのは、彼らが最も聖なるものを運ぶことになっており、それはレビ人たちが肩に担って運ばなければならなかったからです。
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民数記 7章12〜89節 2015年11月8日 |
さてモーセは主と語るために、会見の幕屋にはいって、あかしの箱の上の、贖罪所の上、二つのケルビムの間から自分に語られる声を聞いた。すなわち、主は彼に語られた。(89) 各部族の長たちは、祭壇を聖別してささげた日から、一日に一部族ずつ、ささげものを持ってきました。順番はユダ族からナフタリ族まで、道を進む時と同じです。そして、十二部族はそれぞれ人数も力も違ったのですが、毎日順番にささげたものは同じでした。油を混ぜた麦粉を満たした銀のさらと銀の鉢、薫香を満たした金の杯、燔祭の雄牛、雄羊、雄の小羊、罪祭の雌やぎ、酬恩祭の雄牛、雄羊、雄の小羊です。重さも数も同じでした。聖書は丁寧に同じささげもののリストを十二回繰り返します。
イスラエルの十二部族はどの部族も数は違い、担っていく役割は違っていても、主に選ばれた大切な民であり、同じように、主は大切に扱っておられたのです。私たちも持っているものは違うかも知れません。しかし、主は私たち一人一人が、共に主に近づき、礼拝を担っていくことを願っておられるのです。
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