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民数記 19章1〜22節     2015年12月4日

その人は三日目と七日目とに、この灰の水をもって身を清めなければならない。そうすれば清くなるであろう。(12)

 「清める水」の作り方と、その用い方について書かれています。完全で、傷がなく、くびきを負ったことのない赤い雌牛をほふって焼き、その灰を集めて宿営の外の清いところにたくわえておきます。人の死体などに触れて身を汚した人は、三日目と七日目に、この灰を器に入れ、流水を加えた清める水を振りかけてもらわなければなりませんでした。そして、その役目は、身の清い人が負うことになっていました。汚れた人自身は自分で自分をきよくすることはできなかったのです。
 清める水を作るためには、赤い雌牛がほふられ、その血が流され、焼いて灰とされなければなりませんでした。ここでもこの赤い雌牛は、新約聖書における主イエスのあがないときよめの御業を指し示しています。そして、清い人がその清めの水をふりかけることを求められたように、私たちも、主イエスのきよめの御業にあずかる時に、さらに恵みを求める人たちに、主イエスを紹介する責任を負っているのです。



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