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民数記 17章1〜11節 2015年11月30日 |
その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。(8) 主は、アロンが特別に召され、神の働きを担うようにと選ばれていることを示すために一つの奇跡を見せられます。イスラエルの十二部族のつかさたちからそれぞれ一本ずつつえを集め、それぞれにその部族の名前を書かせます。またレビ族のものとしてアロンからも杖を受け取り、その十二本の杖を会見の幕屋の中のあかしの箱の前に置かせたのでした。
その次の日の朝、モーセがあかしの幕屋に入っていくと、アロンの杖だけは芽が出て、つぼみができ、花が咲いて、アーモンドの実が結んでいたのでした。他のつかさたちの杖には何も起こっていませんでした。この奇跡は、神がアロンを特別な使命のために選び分けておられることのしるしでもありました。
それは特別にアロンが偉いとか、人格的にすぐれているとかということではありません。神の選びの恵みの中で、特別な使命を託されていたのです。私たちにも託されている使命があることを覚えたいと思います。
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民数記 17章12〜18章7節 2015年12月1日 |
わたしはあなたがたの兄弟たるレビびとを、イスラエルの人々のうちから取り、主のために、これを賜物として、あなたがたに与え、会見の幕屋の働きをさせる。(18:6) イスラエルの民は、コラに下った災い、そして、続く疫病・・・などを通して、「破滅だ、全滅だ」と悲鳴を上げます。主の幕屋に近づき、主に近づくということへの恐れがそこにはありました。
確かに、聖なるお方に近づくということは恐ろしいことですし、そこに「恐れ」があるということはとても大切なことです。軽々しい気持ちで、このお方に近づくことはできませんし、また汚れた者が近づくことは死を意味していました。
そのような中で、神はアロンを立て、またレビ人を立てて神に近づき、幕屋の務めを果たすようにと定められたのです。
レビ人以外の人々が幕屋の務めを担うことはできませんでした。しかし、主イエスが神に近づく道を開いて下さった今は、私たちは恐れを覚えつつも、大胆に、主の御前に出ることを許されているのです。
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