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民数記 23章1〜12節 2015年12月13日 |
そこでバラクはバラムに言った、「あなたはわたしに何をするのですか。わたしは敵をのろうために、あなたを招いたのに、あなたはかえって敵を祝福するばかりです」。(11) バラクはバラムを連れて、エルサレムの民が見えるところまで連れて行き、バラムにイスラエルの民をのろうことを依頼します。バラムは主がその口に与えられた言葉を語ります。
バラクはバラムにのろいをリクエストしたのですが、バラムはイスラエルをのろうことはできませんでした。神がイスラエルを祝福しておられたからです。バラムは、「もろもろの国民のうちに並ぶものはない」と語り、彼らがなお増え広がることを予告します。そして、「わたしの終りは彼らの終りのようでありたい」とさえ語るのです。
バラクは怒りますが、バラムは、主が自分の口に授けられたことでないと語れない、と言うのでした。モアブの王はイスラエルをのろおうとするのですが、主はかえってイスラエルの民を祝福されました。そして、神の祝福を誰も打ち消すことはできなかったのです。
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民数記 23章13〜26節 2015年12月14日 |
神は人のように偽ることはなく、また人の子のように悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか・・・祝福せよとの命をわたしはうけた、すでに神が祝福されたものを、わたしは変えることができない。(20〜21) バラクはバラムを別の場所に連れて行き、別の場所からイスラエルの民を臨み見て、イスラエルの民を呪わせようとしました。バラムはひとり主に近づいて、主の言を待ちます。そして主はバラムに言葉を授けられたのでした。神がバラムに託された言葉は、神は一度祝福すると語ったら、必ずそれを実現し、それを行うということでした。神が祝福すると語られたものを神は変えることをなさらないし、なおさら人はそれを変えることができないのです。
バラムはイスラエルの民をかえって祝福し、災いも悩みもない、主が共にいてくださり、直接彼らに語り、彼らを導かれる、と語ります。そしてバラムはまたイスラエルが非常に力強い勝利をおさめていくであろうことも予告していくのでした。バラクはたまらずバラムを止めるのですが、神は、確かにイスラエルの民を祝福しておられたのです。
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民数記 23章27節〜24章9節 2015年12月15日 |
ベオルの子バラムの言葉、目を閉じた人の言葉、
神の言葉を聞く者、全能者の幻を見る者、
倒れ伏して、目の開かれた者の言葉。(3〜4) バラクはバラムをまた別の場所に連れて行きます。しかし、バラムにはもう主がイスラエルの民を祝福しようとしておられることは明らかでした。イスラエルの民を遠くに見ているうちに、神の霊がバラムに臨み、バラムはとても美しい祝福の言葉をイスラエルの民のために語ります。バラムには、主がどんなにイスラエルを愛し、祝福しようとしておられるかが分かっていました。イスラエルの民はしばしば主に背き、主の怒りを引き起こしていました。しかし、主はそんなイスラエルをなおも愛し、イスラエルのために良き地を備えておられました。そして彼らはその約束の地に神様の豊かな祝福をいただいて、安らかに住むようになる・・・それがバラムの見たイスラエルの姿でした。ですから、イスラエルを呪うことは愚かです。神に祝福されたいと願ったら、イスラエルを祝福すべきだ、とバラムは、目の開かれた者としてバラク王に語ったのです。
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