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レビ記 22章1〜16節 2015年10月8日 |
それゆえに、彼らはわたしの言いつけを守らなければならない。彼らがこれを汚し、これがために、罪を獲て死ぬことのないためである。わたしは彼らを聖別する主である。(9) アロンとその子たちに与えられている務めはとても大切なものでした。イスラエルの人々が聖なる供え物を携えて主に近づこうとする時、その礼拝を支えるのが祭司たちの務めだったからです。ですから彼らは汚れを負ったままで、人々の供え物に触れてはなりませんでした。
これはアロンとその子たちにとって努力目標ではありませんでした。彼らは神が語られた通りに生きなければならなかったのです。神の言いつけを守らないことはすなわち死を意味していました。彼らは主を恐れ、自分が与えられている務めの重大さをいつも知っている必要がありました。
自分が聖なる者として生きるだけではありません。祭司たちにはイスラエルの民を聖なる者として者として導く責任がありました。主イエスは私たちの大祭司として、私たちの礼拝を導き、私たちを汚れからきよめ、守ってくださるお方なのです。
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レビ記 22章17〜33節 2015年10月9日 |
あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの国から導き出した者である。わたしは主である。(33) 神の御前に誓願の供え物、または自発の供え物をささげる時には、その供え物は全きものでなければなりませんでした。傷があるもの、商品価値がなく他に利用できないものを、「それならどうせ神にささげものをしなければならないからささげておこう」と、自分のいらないものを献げるということではいけません。神の御前に献げるものは最もよいものでなければならなかったのです。それは、神がささげる私たちの心をごらんになるからです。ささげものは、ささげる動物やもの以上に、そのささげる人自身を神様の御前に携えてきてささげるということだからです。神を神として、聖なるお方としてあがめる人は、当然、最も良きものをささげます。
神はイスラエルの民をエジプトから救い出してくださいました。それは主がイスラエルの神としてあがめられるためでした。私たちもまた主イエスの尊い贖いによって罪の中から贖い出されました。そのようにして、主は私たちの神としてご自身を示しておられます。このお方の前に真心をもって仕える者たちでありたいと思います。
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