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レビ記 14章1〜32節 2015年9月23日 |
・・・これをかの流れ水を盛った土の器の上で殺した小鳥の血に、その生きている小鳥と共に浸し、これを・・・清められる者に七たび注いで、その人を清い者とし、その生きている小鳥は野に放たなければならない。 (6〜7) 重い皮膚病は宗教的な汚れという側面をもっていましたから、この病の診断及び宣告は祭司の務めでしたし、またその病から回復する時には、「治る」「癒される」と言わないで、「きよまる」「きよめられる」と言いました。そして、その患者が清い者とされる時には、祭司によってきよめの儀式が行われなければなりませんでした。
清い小鳥二羽が持って来られ、一羽は殺され、血が流され、清められる人に振りかけられます。それはきよめのためには血によるあがないが必要とされたからです。そして生きているもう一羽は、その血に浸されてから野に放たれたのでした。それはその人がきよめられて自由とされることを意味していました。重い皮膚病を宣告されて宿営の外に住み、その行動を制限されていたその人は七日の後に、罪祭・燔祭・素祭をささげた上で、きよい者とされて、自由を回復したのでした。
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レビ記 14章33〜57節 2015年9月24日 |
その所有の地において、家に悪性のかびが生じるならば、その家の持ち主はきて、祭司に告げ、『患部のようなものが、わたしの家にあります』と言わなければならない。 (34〜35) ここで「悪性のかび」と訳されている言葉は「重い皮膚病」と同じ言葉でヘブル語のツァーラートです。イスラエルの民がカナンの地に住むようになった時、イスラエルの民は荒野を旅していた時とは違って、天幕ではなく家に住むようになります。ところがその家に悪性のかびが生じることがあると言います。それはまさにその家に住む人々にも大きな健康被害をもたらしかねず、またその家だけでなく、周辺にも害を及ぼす危険がありました。ただ実際には、自分の家を破壊し捨てなければならないリスクを覚えながら、そこに悪性のかびかもしれないものがあることを認め、申し出るということは、決してやさしいことではなかったことでしょう。しかし、そのような汚れた家に住み続けることは、その家に住む人々をも汚れた者とする行為でした。目に見えるかび以上に、私たちの心や思いを汚しかねない汚れがないようにしたいと思います。
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