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レビ記 18章1〜23節 2015年9月30日 |
あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。(5) イスラエルの民は約四百年エジプトに住んでいました。様々なエジプトの文化や習慣がイスラエルの中に入り込んできていたことでしょう。確かにエジプトは肥沃な土地で、その土地に残って自由な者として生きるという道もあり得たかも知れません。しかし、それは、非常に危険なことでした。エジプトの王はまた気が変わるかも知れませんし、またエジプトに根付いた異教の習慣に巻き込まれてしまう恐れも大きかったからです。その意味でも、イスラエルの民はどうしてもここでエジプトから出なければなりませんでした。もちろん、これから入って行こうとしている約束の地カナンにも先住民がいて、非常に乱れた歩みをしていました。一体、イスラエルの民は本当に大丈夫なのでしょうか。だからこそ、神のおきてと定めを守り、これを行うということがどうしても必要でした。神の戒めは私たちを危険から守り、命の道を歩ませるのです。
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レビ記 18章24〜30節 2015年10月1日 |
あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、これらのもろもろの事によって汚れ、その地もまた汚れている。(24〜25) イスラエルの民はカナンの先住民を追い出してそこに住むことになっていました。私たちは、そこに元々住んでいた民の立場に立って心を痛め、また神に対しても不信をいだくかもしれません。しかし、この時代のカナンの先住民たちは道徳的にも非常に乱れた生活をし、神の裁きが臨もうとしていました。人々の罪のゆえに地が汚され、地はその住民をはき出そうとしていたのです。
しかし、このことはイスラエルの民にも同じように突きつけられていました。彼らが自分たちが入って行く地の人々が歩んでいたように主が憎まれる風習に従い、その身を汚し、その地を汚していった時には、今度は自分もはき出されることになってしまう・・・そして実際に、イスラエルは再三の神の警告にもかかわらず、罪を重ねていき、結局はアッスリヤとバビロンに滅ぼされてしまったのでした。私たちを救ってくださった主の恵みにいつも留まり続けるお互いでありたいと思います。
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