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レビ記 16章1〜28節     2015年9月27日

アロンはまた二頭のやぎを取り、それを会見の幕屋の入口で主の前に立たせ、その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。(7〜8)

 この十六章は一年に一度、大祭司が至聖所に入って民のためにあがないをする贖罪の日のことが記されています。大祭司であっても不用意にその垂れ幕の内側に入ることはできなかったのです。
 二頭のやぎが準備されました。そしてくじが引かれ、一頭は主のため、もう一頭はアザゼルのために用いられました。主のために選ばれたやぎは罪祭としてささげられました。そしてもう一頭のアザゼルのやぎは、アロンがその頭に両手を置いて、イスラエルの人々のすべての罪を告白してその頭に負わせました。そしてそのやぎは荒野に送られたのでした。アザゼルは人里離れた険しい荒野を意味するという説とある種の悪霊のことを指すという説がありますが確かなことは分かりません。いずれにしてもアザゼルのやぎは人々の罪を負って、地の果てまで追放されたのでした。それは、イスラエルの民の罪がゆるされ、また罪が遠く処理され、イスラエルと関わりのないもののようにされることを意味していました。

レビ記 16章29〜34節     2015年9月28日

この日にあなたがたのため、あなたがたを清めるために、あがないがなされ、あなたがたは主の前に、もろもろの罪が清められるからである。(30)

 ここで言う七月十日は、私たちの暦で言うと、九月の末から十月中の一日ということになります。それは一年の収穫を感謝し、喜ぶ季節でもありました。七月一日は新年の祝いの時であり、十五日からは仮庵の祭が祝われます。それは荒野にあってもイスラエルの民を養われた主を思い起こすときです。しかし、それに先だって、新年の初めの時期に、贖罪の日が守られました。収穫を喜び、気持ちが高ぶっていたとしても、その日には仕事をやめて身を悩ましました。そして、大祭司は民を代表する者として動物の血を携えて、ただひとり至聖所に入っていって、そこで民のためにあがないをしました。
 罪深い私たちが神の前に近づき、神を礼拝し、神と交わりを持つためには、このあがないがどうしても必要でした。毎年、アロンが、そしてアロンの務めを受け継ぐ大祭司がその務めを担いました。後に、まことの大祭司である主イエスがこの世に来て、ご自身のきよい血を携えて天の至聖所に入って私たちのためにあがないをしてくださたことにより、私たちは永遠のゆるしをいただいたのです。



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