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サムエル記上 16章1〜13節 2016年6月22日 |
わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る。(7) 主はサムエルをベツレヘムに遣わされました。主は新しい王をそこに見いだされたのでした。神が見いだされた王は、まだ子どもでした。ある意味、どのように成長していくか未知数のところも多かったと思います。しかし、主はその少年のうちにあった資質を見抜かれただけでなく、そのひとりの少年を育てようとしておられたのです。
主がサムエルを導かれたのはベツレヘムの町のエッサイの家でした。サムエルはエッサイの息子たちと会います。長男エリアブを見たとき、サムエルは「この人だ、この人に違いない」と思いました。しかし、神は「違う」とおっしゃいます。そして主はサムエルに「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」と語られたのでした。次々に息子たちを紹介されるのですが、主はサムエルの前に来た七人とも違う、とおっしゃいます。主が選ばれたのは野で羊を飼っていた少年ダビデでした。主は私たちの心をごらんになってどうおっしゃるでしょうか。
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サムエル記上 16章14〜23節 2016年6月23日 |
その時、ひとりの若者がこたえた、「わたしはベツレヘムびとエッサイの子を見ましたが、琴がじょうずで、勇気もあり、いくさびとで、弁舌にひいで、姿の美しい人です。また主が彼と共におられます」。(18) 主の霊が注がれて、王としての生涯をスタートしたサウルでしたが、神に背き、また神の御心からずれた歩みをしていくうちに、主の霊は彼から離れ、悪霊に悩まされるようになります。彼は平安で穏やかな心を失い、いらいらし、不安と猜疑心にいつもさいなまれるようになったのでしょう。サウルがおかしいということは、側にいて仕えていた家来たちにも明白でした。最初からこうではなかったのです。最初は主に選ばれた僕として、よいスタートを切ったのです。しかし、御心からのズレをそのままにし、自分の考えで強行突破することを重ねていくうちに、すっかり悪魔に支配されてしまったのでしょう。
家来たちはサウルの心を静めるために、琴をひく者を尋ね求めます。そしてダビデに白羽の矢が刺さったのでした。彼は羊を飼いながら、琴をひき、主を賛美していたのでしょう。彼の琴には人の心を安らがせる特別な力が与えられていました。
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