バックナンバー
|
列王記下 25章1〜21節 2016年11月22日 |
町の一角がついに破れたので、王はすべての兵士とともに、王の園のかたわらにある二つの城壁のあいだの門の道から夜のうちに逃げ出して、カルデヤびとが町を囲んでいる間に、アラバの方へ落ち延びた。(4) エホヤキムの後、王になったのはその子エホヤキン、エホヤキンの後を継いだのはエホヤキムの兄弟のゼデキヤでした。そして、このゼデキヤが南ユダ王国最後の王となります。ゼデキヤの時代、預言者エレミヤはたびたびゼデキヤに、滅びは避け得ないものであることを語り、バビロン帝国に降伏することを勧めていました。しかし、ゼデキヤは最後まで主の言葉に従うことはしませんでした。バビロン軍に包囲されてエルサレム城内の食物が尽き、悲惨な状況になっていく中で、ゼデキヤは町を見捨て、民を見捨てて町からこっそりと逃げだそうとするのでした。
けれどもバビロン軍はゼデキヤ王を捕らえ、またエルサレムの城壁も神殿も破壊し、その民を捕囚としてとらえて行きました。人間の王の最後の姿は何ともみじめです。しかし、本当の王である神は私たちを見捨てることはありません。
|
列王記下 25章22〜30節 2016年11月23日 |
こうしてエホヤキンはその獄屋の衣を脱ぎ、一生の間、常に王の前で食事した。彼は一生の間、たえず日々の分を王から賜わって、その食物とした。(29〜30) バビロンの王ネブカデネザルはユダの地に残した民のリーダーとしてゲダリヤを任命します。しかし、ネタニヤの子イシマエルたちはゲダリヤを殺害します。バビロンの報復を恐れた残りの民はエジプトに逃れたのでした。しかし、イシマエルらはゲダリヤを殺すべきではありませんでしたし、残りの民もエジプトに逃れるべきではありませんでした。イスラエルの民がこのような困難の中にあったのは、彼らの罪のゆえでした。彼らはどこまでも真実な悔い改めに生きるべきでした。エジプトに逃れた民にはまた災いがその地にあっても臨むことになります。エジプトは彼らの逃れの地ではなかったのです。
列王紀はその最後に、第一次バビロン捕囚の中で、捕らえ移されたエホヤキンがゆるされ、厚遇されたことを記しています。実際に何があったのかは定かではありません。しかし、主は、その罪のゆえに捕らえ移されたバビロンの地にあってもエホヤキンを憐れんでくださいました。主はイスラエルを見捨ててはおられなかったのです。
|
|
|