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列王記下 15章1〜7節 2016年11月5日 |
主が王を撃たれたので、その死ぬ日まで、らい病人となって、離れ家に住んだ。(5) 北王国がヤラベアム二世の統治の下、領土を回復していった時代、南王国でもアマジヤの子アザリヤが王となり、五二年間治めます。北王国も南王国も長期政権が続いたのは、ちょうどこの時期、アッスリヤ帝国が国内問題を抱え、混乱して、国力が弱っていたからだとも言われます。北王国も南王国も、この時代は主に目を向け、主に対する信頼に生きる歩みを回復すべき時であったと思います。
南王国で王位に就いたアザリヤは別名をウジヤとも言うのですが、主の目にかなうことを行い、その国は繁栄を回復します。しかし、その絶頂期に主はアザリヤを撃たれます。彼は重い皮膚病を患い、政治の表舞台から姿を消していったのでした。歴代誌の記録には、アザリヤ王が祭司にゆだねられていた神殿で香を焚くという行為を自らしようとしたと記されています。彼は権力を握る中で、政治だけではなく、宗教的実権をも握ろうとしたのでしょう。周辺の国々ではどこでもしていることだったと思います。しかし、イスラエルの王は主に立てられた者として自分の分を越えてはならなかったのです。
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列王記下 15章8〜38節 2016年11月6日 |
イスラエルの王ペカの世に、アッスリヤの王テグラテピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテマアカ、ヤノア、ケデシ、ハゾル、ギレアデ、ガリラヤ、ナフタリの全地を取り、人々をアッスリヤへ捕え移した。(29) 北王国ではヤラベアム二世の安定した時代が終わると、政権が流動化して行きます。ヤラベアムの子ゼカリヤは六ヶ月で殺害され、エヒウ王朝は幕を閉じます。その後、王となったシャルムが王であったのはわずか一ヶ月、その後、メナヘムが王となります。メナヘムは一〇年治めますが、その子ペカヒヤの治世は二年、続いて王となったのはレマリヤの子ペカでした。
ペカの時代、アッスリヤの王テグラテピレセルは、北イスラエル王国に攻め込み、ヨルダン川の東側の領土、また北王国の北部ガリラヤやナフタリの地を占領し、その地の人々をアッスリヤに捕らえ移していきます。ペカは二十年間治めますが、エラの子ホセアに倒されてしまいます。
神は一度に国を滅ぼすことはされませんでした。ある意味、主はイスラエルが悔い改めるのをなお待っておられたのです。アッスリヤに占領されてしまったガリラヤやナフタリの地ですが、後に、主イエスはこの地に慰めと福音をもたらされることになります。
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