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列王記下 16章1〜9節 2016年11月7日 |
そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルにつかわして言わせた、「わたしはあなたのしもべ、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王がわたしを攻め囲んでいます。どうぞ・・・わたしを救い出してください」。(7) 南ユダ王国ではウジヤ王の後をその子ヨタムが継ぎ、その後をヨタムの子アハズが継いでいきました。この時代、北イスラエル王国や南ユダ王国、スリヤ、といった小さな国々は大きな選択を迫られていました。アッスリヤに降伏して仕えるか、エジプトと同盟を結んでアッスリヤに対抗するか、または中小の国々が同盟を結んで、北からの迫るアッスリヤ、南から迫るエジプトに対抗するか、という道です。
アハズの時代、南ユダ王国には預言者イザヤがいて、アハズ王に先の三つの道ではなく、第四の道を選ぶように迫っていました。それは他の国々にすがるのではなく、イスラエルの神である主に頼るという道でした。しかし、アハズはイザヤの勧めを良しとせず、アッスリヤと同盟を結ぶ道を選びます。それは一時的には外交的勝利をもたらしたように見えました。しかし、アッスリヤは決して南ユダ王国の救い主にはなってくれませんでした。
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列王記下 16章10〜20節 2016年11月8日 |
アハズ王はアッスリヤの王テグラテピレセルに会おうとダマスコへ行ったが、ダマスコにある祭壇を見たので、アハズ王はその祭壇の作りにしたがって、その詳しい図面と、ひな型とを作って、祭司ウリヤに送った。(10) アハズ王はダマスコを占領しスリヤを倒したアッスリヤの王ティグラテピルネセルに謁見し、感謝を伝えようとダマスコに赴きます。そして、アハズはダマスコにある祭壇を見ます。それはアッスリヤの王が自分の礼拝する神々に犠牲をささげるためにと築いた祭壇だったのかもしれません。この当時は国と国の戦いは、その国の神と神との戦いとも考えられていました。ですから世界を治める大国の神々は多くの国々で拝まれるようになりました。アハズは直ちにダマスコにあった祭壇の図面を自分の国に送り、同じものをエルサレムにも作らせます。主の宮の祭壇が動かされ、新しい祭壇が設置されました。もちろん、アッスリヤの王に恭順を示す一つの方法だったのかもしれません。しかし、アハズのしたことは、主なる神にすがらないでアッスリヤにすがり、またイスラエルの主を退けて、アッスリヤの神々を拝むということを意味していました。
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