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ヨシュア記 24章1〜13節 2016年4月20日 |
あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていたが、わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、川の向こうから連れ出して・・・(2〜3) ヨシュアはイスラエルのリーダーたちと共に神の前に近づきます。そしてヨシュアはイスラエルのすべての民に対して語り出すのです。イスラエルの民は二百万人ほどだっただろうと言われますが、そもそもの初めは異教の神々に仕える家族の中に生まれたアブラハムに神が声をかけられたところから始まりました。ヨシュアからさかのぼること数百年から千年も前の話です。
そしてイスラエルの民はエジプトで増え広がり、その地で奴隷として使役されていました。しかし、主は先祖たちの叫びを聞き、イスラエルの民をそこから救い出してくださいました。そして、イスラエルの民は主がアブラハムやその子孫たちに約束されたカナンの地に入ってきたのです。イスラエルの民が勝利して、その地を勝ち取ってきたというよりも、主がその地を彼らに与えてくださったのでした。すべてが主の御業であり、それは一人の人から始まったのです。
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ヨシュア記 24章14〜18節 2016年4月21日 |
あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます。(15) 主はイスラエルの民にすばらしい祝福を与えてくださいました。だから・・・とヨシュアは言います。一つは他の神々を除き去るということです。昔、アブラハムの先祖たちが仕えていたメソポタミヤの神々、そしてイスラエル民が奴隷となっていたエジプトの神々がいまだにイスラエルの民の歩みの中に影響を残していることをヨシュアは知っていました。また、彼らが導き入れられたカナンの地の先住民たちが拝んでいた神々もあります。けれども、それらは除き去らなければなりませんでした。
もう一つ大切なことは、「主を恐れ、まことと、まごころと、真実とをもって、主に仕える」ということです。上っ面や、形だけではなく、真実とまごころをもって主を愛し、仕えていくのです。
主を信じ、愛し、仕えるというのは、選択です。わたしたちはその道を選ばなければなりません。そしてヨシュアは、「わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」と宣言します。あなたはどうですか。
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ヨシュア記 24章19〜33節 2016年4月22日 |
「われわれの神、主に、われわれは仕え、その声に聞きしたがいます」。(24) イスラエルの民は、ヨシュアの呼びかけに対して「われわれも主に仕えます。主はわれわれの神だからです」と答えました。しかし、ヨシュアは「あなたがたは主に仕えることはできないだろう」と言います。私たちは、このような言い方はどうかと思ったりします。しかし、ヨシュアは、モーセの従者としてイスラエルの民がどんなに頑固で、聞き分けのない民であるかを見てきましたし、その中で苦悩したモーセの姿を見ていました。そして約束の地に入っても、世代が代わっていっても、本質的なところは何も変わっていない、ということを知っていたのでしょう。ヨシュアは何度も民に念を押し、「それならば、あなたがたのうちにある異なる神々を取り除き、主に心を傾けなさい」と迫るのでした。まだ実際にはイスラエルの中に偶像の神々が残っていたのです。
ヨシュアは民に律法の言葉を読み聞かせ、民と契約を立てて、そのしるしとして石を立てたのでした。民が自分たちの結んだ主との契約を忘れないためでした。
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