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ヨシュア記 10章1〜28節 2016年4月3日 |
その時、主はヨシュアに言われた、「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手にわたしたからである。彼らのうちには、あなたに当ることのできるものは、ひとりもないであろう」。(8) 生き残りのための死にものぐるいの戦いが続きます。ギベオンがイスラエルと友好条約を結んだというニュースはカナンの地の先住民たちに大きな衝撃をもって受けとめられます。ギベオンが大きく強い町だったからです。アモリ人の五人の王たちは一緒になってギベオンを攻めます。ギベオンからの救援を求める急使がヨシュアのもとにやってきます。しかしヨシュアとしても、五人の王たちを相手に戦うのはとても大きな恐れを伴うことだったはずです。そもそもイスラエルは負けられないのです。一度負けてしまうと、後がない・・・そのような状況に彼らは置かれているのです。しかし、主は再び、ヨシュアを励まされます。新しい言葉というよりもかつて語られた言葉をもう一度思い起こさせるようにして、約束の言葉を更新されるのです。主は天から大石を降らし、太陽を中空に止めて、イスラエルを助けられたのでした。主はヨシュアに大勝利を与えてくださいました。
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ヨシュア記 10章29〜43節 2016年4月4日 |
イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたので、ヨシュアはこれらすべての王たちと、その地をいちどきに取った。(42) ヨシュアの戦いが続きます。ヨシュアは町の中の人を「ひとりもその中に残さず」「すべての人を討ち滅ぼし」「ことごとく・・・滅ぼした」という言い方が続きます。私たちは現代の感覚でヨシュア記を読むときに、非常に残酷に感じます。ただ、このカナンの先住民たちが道徳的に非常に乱れている中で、主がイスラエルの民を用いて彼らに裁きと滅びをもたらされたということができます。ですから実際、イスラエルの民が主に背いて、その罪が地に満ちたときには、今度はイスラエルの民がアッスリヤやバビロンの民によって除かれることになります。また主がそのことを命じられた背後には、その地の民を残しておくならば、イスラエルの民は先住民の乱れた習慣や偶像礼拝にすぐに染まってしまうことを知っておられたからでもあります。
「主が・・・戦われた」。ヨシュアの戦いを戦ってくださった目に見えない主は、私たちの戦いにも共にいってくださいます。
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