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ヨシュア記 22章1〜9節 2016年4月17日 |
あなたがたは主のしもべモーセが命じたことを、ことごとく守り・・・今日まで長い年月の間、あなたがたの兄弟たちを捨てず、あなたがたの神、主の命令を、よく守ってきました。(2〜3)
ルベンとガドとマナセの半部族はすでにヨルダン川の東側で嗣業の地を受けていました。しかし、その条件として、モーセは、この二部族半の人々に、他のイスラエルの人々共にヨルダン川を渡り、他の部族の人々も皆、その嗣業の地を得るまで、共に戦うことを条件としていました。この二部族半の人々はその条件を受け入れ、イスラエルの人々の先頭に立ってこれまで戦ってきました。それはイスラエルの一部族としての彼らに与えられた義務であると共に、彼らは他のイスラエルの民と共に戦うことを通して主の大きな御業を経験することができたことでしょう。
しかし、戦いも一段落し、それぞれが嗣業の地を与えられる中で、ついにこれらの二部族半の人々がそれぞれの地に帰るときがきました。ヨシュアは彼らに感謝の言葉を伝えると共に、律法を守り、心をつくして主に仕えるべきことを語るのでした。
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ヨシュア記 22章10〜34節 2016年4月18日 |
ルベンの子孫、ガドの子孫、およびマナセの部族の半ばが、カナンの地のヨルダンのほとりにきた時、その所で、ヨルダンの岸べに一つの祭壇を築いた。それは大きくて遠くから見える祭壇であった。(10) さて、ヨルダン川の東側に帰って行った二部族半の人たちですが、ヨルダン川の東側に大きな祭壇を作りました。それは西側に住む人々にもはっきり確認できる巨大な祭壇でした。このニュースはとてもショックなこととしてイスラエルの民に受けとめられます。それはイスラエルにおいては、主が選ばれたただ一つの場所だけで犠牲をささげることになっていたからです。先住民たちは偶像を拝み、高い木の下や、「高きところ」と呼ばれる祭壇を国中に作って犠牲をささげていました。けれども、イスラエルの民はそのような異教の祭壇を崩していったのです。
この時には幕屋はシロに置かれており、その前にだけ祭壇が置かれていました。東側の住民たちはその祭壇を作った意図を説明し、他の民たちもそれを受け入れました。確かに動機は決して不純なものではなかったでしょう。しかし、やはりこの後、ヨルダン川の東側では西側よりも早く偶像礼拝の影響が出て来てしまうのです。
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