chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
創世記
出エジプト記
レビ記
民数紀
申命記
ヨシュア記
士師記
ルツ記
サムエル記上
サムエル記下
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8
  9 10 11 12 13 14 15
  16 17 18 19 20 21
  22 23 24
列王記上
列王記下
歴代志上
歴代志下
エズラ記
ネヘミヤ記
エステル記
ヨブ記
詩篇
箴言
伝道の書
雅歌
イザヤ書
エレミヤ書
哀歌
エゼキエル書
ダニエル書
ホセア書
ヨエル書
アモス書
オバデヤ書
ヨナ書
ミカ書
ナホム書
ハバクク書
ゼパニヤ書
ハガイ書
ゼカリヤ書
マラキ書
新約聖書
サムエル記下 15章1〜18節    2016年8月7日

こうしてアブサロムはイスラエルの人々の心を自分のものとした。(6)

 アブサロムは静かに、巧妙にダビデに対する反旗をひるがえす時をねらい始めます。まず、様々な問題を抱えてダビデのもとに来る人たちの話を聞いて、彼らの心をつかんでいきます。もともとがダビデの治世の中で様々な問題を感じている人たちです。アブサロムが「分かるよ」「君の言っていることが正しい」と声をかけ続けていくことによって、アブサロムに心を向けていきます。ある意味、ダビデに欠けているものをアブサロムはよく知っていたのです。
 そして四年の準備をかけて、アブサロムは今なら勝算があると、二百人の客を招いてヘブロンに行き、ラッパを吹いて自分が王になったことを宣言するのでした。人々は次々とアブサロムに加わり、エルサレムに上っていこうとします。
 ひとりの使者がダビデのもとに来たとき、ダビデは戦いを避けてエルサレムから落ち延びていきます。アブサロムに従う人々が多いということを聞いたでしょうし、自分の息子との戦いを避け、エルサレムを戦場にしたくなかったということもあったでしょう。 

サムエル記下 15章19〜37節    2016年8月8日

しかしイッタイは王に答えた、「主は生きておられる。わが君、王は生きておられる。わが君、王のおられる所に、死ぬも生きるも、しもべもまたそこにおります」。(21)

 ダビデはエルサレムから落ち延び、アブサロムをたたえる群衆が彼を担ぐようにしてエルサレムに向かっているという中で、勝ち馬に乗るというようにして、アブサロムに加わる人たちも大勢いたことでしょう。そして、そういう危機の時こそ、その人の本性が見えてくるとも言えます。
 ここにはそのような困難を承知の上で、ダビデのもとに集まって来た人たちのことが書かれています。ガテ人イッタイは外国人でした。自分の国から追放され、ダビデのもとに身を寄せたばかりでした。しかし、イッタイはダビデと行動をともにします。「主は生きておられる」という言葉は、彼にとって決して単なる決まり文句ではありませんでした。
 アビヤタルやザドク、そしてダビデの友ホシャイもダビデのもとに来ます。しかし、ダビデは彼らをエルサレムに戻し、アブサロムの動きを探らせたのでした。



礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに