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ゼカリヤ 14章1〜21節 2018年9月11日 |
そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである。(7) 「見よ、主の日が来る」と語られ、「その日」と繰り返し語られる日はやがて主が来たらせられる終末的な救いの日をさしているのでしょう。その日には主はオリブ山の上に立たれます。夜が除かれ、生ける水がエルサレムから流れ出ます。エルサレムを攻撃していた人々は災いをもって撃たれ、世界中から人々がエルサレムに礼拝に訪れます。
夕暮れ時は、なんとなくもの悲しいものです。夕暮れに、私たちは一日の働きが終わることを感じ、日が沈んで闇が訪れようとしていることを感じます。しかし、やがて、主がおいでになって歴史を完成してくださるその日には、昼とか夜という言い方がなくなってしまう。主が都を照らし、夜はなくなってしまう・・・ゼカリヤの預言は後に、ヨハネの黙示録にも受け継がれていきます。いつも光のある世界の中に置かれていることを心から感謝したいと思います。
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