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ゼカリヤ 6章1〜15節 2018年9月3日 |
万軍の主は、こう仰せられる、見よ、その名を枝という人がある。彼は自分の場所で成長して、主の宮を建てる。(12) 四つの馬に引かれた四台の戦車は、全世界にもたらされる厳しい裁きを意味していました。どこの国の誰であっても、罪を犯す者に対しては厳しい裁きが備えられています。しかし、裁きが臨むことと共に、主はエルサレムを回復し、その宮にもう一度ご自身の御名を置こうとしておられました。そして主は、その宮の再建のために大祭司ヨシュアという宗教的な指導者と、ゼルバベルという政治的指導者を置かれたように、政治的な指導者と宗教的な指導者を立てられることを約束されました。ただ、実際の歴史においては、主にあって立てられた指導者たちがしばしば率先して罪を犯し、自ら堕落し、また民を堕落に導いてしまいました。「見よ、その名を枝という人がある」というのは、やがて来たるメシヤの預言です。そして後に、本当に主イエスが王として、また祭司としてこの世に来て、神の国をうち立て、主の栄光をあらわされたのです。
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