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ネヘミヤ記 9章1〜15節 2017年3月6日 |
あなたは主、神でいらせられます。あなたは昔アブラムを選んでカルデヤのウルから導き出し、彼にアブラハムという名を与え、・・・ついにあなたはその約束を成就されました。(7〜8) イスラエルの人々が集まって律法を聞き、仮庵の祭を祝ったのはイスラエルの新年にあたる七月でした。その月の二四日に、イスラエルの民は再び集まって、主を礼拝し、律法を聞き、また悔い改める時をもったのでした。
そしてエズラは民の中にあって立ち上がって祈ります。そして今まで、自分たちを導いてくださった主をあがめ、また自分たちが主に背いてきた、その歩みを悔い改めたのでした。エズラはまず祈ります。「あなただけが主です。あなたは天地万物を造り、今もそれを治めておられます」。そして、エズラは、自分たちの先祖アブラハムが選ばれたところから振り返っています。主が彼をカルデヤのウルから導き出し、新しい名を与え、またカナンの地を与えるという約束を与えられた。そしてアブラハムと結んだ契約のゆえに、主はイスラエルの民をエジプトで奴隷であったところから救い出し、海の中を通らせ、雲の柱・火の柱をもって導き、天からの食物と岩からの水をもって彼らを養われたのです。
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ネヘミヤ記 9章16〜25節 2017年3月7日 |
あなたは良きみたまを賜わって彼らを教え、あなたのマナを常に彼らの口に与え、また水を彼らに与えて、かわきをとどめ、四十年の間彼らを荒野で養われた・・・(20〜21) エズラの祈りが続きます。神は力強く、また真実でした。しかし、イスラエルの民はごうまんで、かたくなで、不従順で、エジプトの奴隷の生活の方が良かったとうそぶいて、エジプトに戻ろうとさえしたのでした。また鋳物で子牛の像を造って、それを拝んだりしました。神に捨てられ、滅ぼされても仕方がなかったと思います。しかし、神はあわれみに富み、いつくしみ豊かなお方でした。彼らを見捨てず、四十年間の荒野の生活においても彼らを導き、彼らに勝利を与え、神の約束されたすばらしい地に導き入れられたのでした。
神は、何もない荒野で、マナを与え、水を与えて、彼らを導かれました。同時に、ここでエズラは、神が「良きみたまを賜って」と言います。神はまさにご自身の霊を彼らに注いで、彼らを教えられたのです。衣食住が備えられたのはもちろん感謝なことだったでしょう。しかし、それ以上に、神のみたまを注がれた彼らは、神の民として生きることを学んでいったのです。
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