バックナンバー
|
列王記上 13章1〜10節 2016年9月16日 |
見よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。(2) 神に背いて罪を犯し、また民を偶像礼拝に導いたヤラベアムに、神はひとりの神の人を遣わされます。そしてその神の人はダビデの子孫にヨシヤという王が生まれ、ヤラベアムがベテルに建てた祭壇を使用できないようにしてしまうと予告したのでした。
そして三百年後に本当に彼が語った主の言葉の通りになりました。神はヤラベアムの時代から三百年後に起こることを王の名前を含めて予告されたのです。ヨシヤは南王国ユダにダビデの子孫のひとりとして生まれ、南ユダ王国の王となりました。そして、このヨシヤ王は南ユダ王国の歴史の中で捕囚前の最後の宗教改革者となり、民の心を主に向けさせようとしたのでした。
この神の人は、ヤラベアム王に裁きの預言を告げて、その場を立ち去っていきます。神は彼に、パンや水を飲んではいけない、来た道から帰ってはいけないとおっしゃっていたからです。彼は王の前から出て行きます。神の人/預言者は主に従うことによって、王やイスラエルの民に、主の語りかけに従って生きる生き方の重要性を伝えなければならなかったのです。
|
列王記上 13章11〜34節 2016年9月17日 |
彼はユダからきた神の人にむかい呼ばわって言った、「主はこう仰せられます、『あなたが主の言葉にそむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず・・・(21) この十三章後半の記事は私たちに大きな戸惑いをもたらします。ひとりの老預言者がヤラベアムのところに来た神の人を追っていき、神の人をだまして、もう一度道を戻らせ、食べてはならない飲んではならないと言われていた神の言葉に背かせます。ところが彼が飲み食いしていると、主の言葉に背いたといって、神の裁きを告げたのでした。この老預言者がどのような意図で神の人を引き留め、自分の家に連れていったのかは分かりません。ただ、神の人は人の言葉によって生きるのではなく、自分に語られる主の言葉に従うべきでした。主の言葉に背いた神の人はししに出会って殺されてしまいます。
使命を終えた神の人が帰り道で裁かれて死んでしまったのはとても痛ましいことでした。しかし、同時に、彼が語った主の言葉は必ず成就する神の言葉として人々の間で語り継がれていくことになります。そして三百年後に主が語られた通りになっていったのでした。
|
|
|