しっかりするのだ、わたしである マルコ 6章 45-51 節
しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。 恐れることはない」と言われた。そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。(50 - 51)
主イエスは海の上を歩いて弟子たちに近づいてこられました。弟子たちは思いました。幽霊だ!!! けれども、主イエスはまさにあり得ないことをしてくださった。そして弟子たちを守り、支えられました。主は今も、私たちの内にそのように働いてくださるのです。
1 逆風に悩む弟子たち
私たちの人生には、逆風の時もあります。一生懸命真面目に生きているのに逆風が吹いてくる、これが人生の現実だとも思うのです。
弟子たちは主イエスの言うとおりにしたのです。けれども逆風が吹いてきた。夕方には舟はガリラヤ湖の真ん中にあって、夜明けの四時まで、弟子たちは暗い海の中、波に揺られ、どうすることもできずに無駄に舟をこいでいた。まさにこれは私たちの姿かもしれません。
2 海の上を歩かれる主
けれどもそんな時、主は弟子たちをごらんになって、彼らに近付かれました。弟子たちは、幽霊だ!と叫びます。彼らはイエスさまがいてくださったらと思っていたはずです。でも、悲鳴を上げる。それはこのようなところに主イエスがおられるはずがないと思っていたからです。けれども、ここに神がおられるはずがない、と思い込んでいるその場所に、主は立ってくださるのです。
3 「わたしである」と語られる主
主は悲鳴をあげる弟子たちに「しっかりするのだ、わたしである、恐れることはない」とおっしゃいます。まさに、私たちのことを愛し、いつも心にかけていてくださるお方として主はおられる。
この「わたしだ」という言葉には特別な意味がありました。ユダヤ人たちはこの「わたしだ」という言葉に、自分たちをエジプトで奴隷だったところから救い出してくださった方、という特別な意味を聞き取ったのです。
天地万物を造り、私たちを愛し、心配してくださっている、主なる神がいてくださって、「わたしだ」とよびかけてくださる。そしてこのお方を見上げる時に、私たちの心の中から恐れが消えていくのです。それは気休めではありません。このお方は、私たちの確実に救いを与え、私たちを助けることができるのです。
主イエスが舟に乗り込んだ時、風はやんでしまいます。知ってください。イエスさまはあなたの人生の舟にも、私が乗ってあげるといってくださいます。イエスさま、どうぞ私の心の中に来てくださいと、主イエスを迎えしましょう。
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