心ゆったりいきいきと ヨハネ14章1〜6,27節
わたしは平安をあなたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えようとするものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(ヨハネ 14:27)
私たちはゆったりとした心で歩んでいきたいと思います。けれども・・・
1 心騒ぐ現実
弟子たちは心騒ぐような状況の中に置かれていました。私たちもそうでしょう。でも、主イエスはそんな弟子たちに、心を騒がせるな、と語られたのです。
2 心安らかな主イエス
主イエスはこれから十字架について行かれるのです。けれども、そのような中にあっても、主イエスはおっしゃるのです。私には平安がある。だれも取り去ることのできない平安。この世が決して与えることができない平安を私はもっている。それはどんな嵐の中でも吹き消すことのできないもの、どんな大風も吹き飛ばすことのできないものなのだ。そのお方があわてふためく、私たちの前に立ち、大丈夫だ、神を信じ、また私を信じなさいとおっしゃるのです。
3 平安をあたえてくださる主
主イエスは、その平安を私たちに与えて下さるのです。主が私たちに与えて下さる平安とは・・・
@神はあなたを見捨ててない
私たちの歩みの中にはまるでひとりぼっちで、神さまがいるのだかいないのだか、さっぱり分からないというようなことがあるかもしれません。けれども知ってください。安心してください。神さまはあなたが嫌いなのではない。神さまは決してあなたを見捨てない。
Aあなたのためのすまいがある
居場所があるというのはありがたいことです。でもこの地上は私たちの永遠のすみかではない。主イエスはおっしゃいます。あなたにはすみかがある。いや、まさにわたしがあなたのためにすみかを用意しているのだ。そこはまさに、わたしがおるところ。そこは豊かな恵みの場。今だけではない、これからも何も心配いらない。神さまはあなたのために場所をちゃんと用意していてくださる。
Bあなたは迷子にならない
神さまはあなたが迷わないように、道を用意してくださった。父なる神さまの御許にいく道です。もっと言うと、イエスさま自身が道となってくださった。十字架にかかって私たちの罪を背負い、大丈夫だ、私を信じて進んでいったらちゃんと父なる神さまのところに行くことができる、と言ってくださる。
苦難の中にあって、ヨハネを、そして最初の時代の教会を支えたのは、心を騒がせるな、神を信じ、また私を信じなさいという主イエスの言でした。そして今も主イエスは、心騒ぐ時代の中で、私たちが心豊かに生き生きと生きることができるようにしてくださる。イエスさまはそのために来られたのです。
|