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あなたを生かすいのちの水 ヨハネ 4章 3- 14節
小原登百子修養生
この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。(13−14)
ユダヤ人とサマリヤ人は非常に近い民族でしたが、サマリヤ人は他民族との雑婚により混血民族となり、純粋性を失わなかったユダヤ人は、彼らを蔑視し、両者の対立は根深いものでした。本来、サマリヤを通れば、最短距離で行けるのに、わざわざヨルダン川の東側を回り道をして、避けて行くくらい犬猿の仲でした。しかし主イエスは、ユダやからガリラヤへ行かれる時、敢えてサマリヤを通り、スカルという町のヤコブの井戸に着かれ、旅の疲れを覚えて座られました。
日の高い昼の十二時頃、土地の女が水を汲みに来ました。
主イエスは、水を求めることにより、彼女との対話の糸口を作られました。主の話し方、服装はユダヤ人そのもので、彼女はとてもびっくりしました。民族的、宗教的なわだかまりもさることながら、ユダヤ人が、それも男性が女性に声を掛けることは有り得ないことで、彼女は主の話を身構えて聞こうとしていました。
ここで、主イエスは、水を必要とされていないことを語られ、彼女に「私の与える水を飲む者はいつまでも渇くことがないばかりか、その人のうちで泉になり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」と言われました。この井戸の水は、肉体の渇きを癒し、体を維持させるでしょう。世間が与える水は、心に喜び、満足を、仕事の喜びは生きる喜び、充実感を与えるかもしれません。知識、名誉、スポーツ、趣味から来る喜びがあり、最大のものは何と言ってもお金でしょう。確かにこれらの水は、私たちに人生に潤い、喜びを与えますが、やがて限界を感じ、遠からず色褪せてきます。
このサマリヤの女性は、人に知られたくない大きな問題を抱えていました。彼女の過去も現在も満足を得られずに渇き、暗さがにじんでいました。主は一言で彼女の問題の核心に触れられました。とうとう彼女は、イエス・キリストが人生の解決者であり、自分の救い主であると信じました。
主イエスの御言は、私たちの人生を根底から変える力を持って臨み、主は御声を掛けて下さいます。人々の悩み、苦しみ、悲しみに、その必要な永遠への命の水を湧き出させて下さるお方が、私たちを恵もうとヤコブの井戸の側で、今日も待っていて下さいます。今も奥深く潜んでいる問題、苦しみ、痛み、隠しておきたいものすべてを主のもとに持って行き、ありのままを打ち明け、主が与えようとおっしゃる命の水をいただきましょう。
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