ただ神のみわざが現われるために ヨハネ 9章 1 - 12節
錦織 由香師
ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。(3)
イエスさまは弟子たちと道を歩いておられました。そこに生まれつき目の見えない人がいました。その時、弟子たちが質問をします。「この人が生まれつき目の見えないのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。ここで弟子たちが関心があったのは、この男自身のこと、その心の痛みではなく、その原因であり、今の不幸をもたらした原因、彼の過去でした。
けれども、主イエスは答えられます。ただ神のみわざが彼の上にあらわれるためだ。それでは神の御業とはなんだったのでしょうか。
1 目の見えない人のいやし
主イエスは、目の見えない人の目を見えるようにしてくださいました。まさに彼の上に神さまの奇跡のみわざがあらわされたといえるでしょう。そしてこの奇跡はまさに主イエスが救い主であることの「しるし」でした。今も神さまは力をもっておられます。神は私たちの病をいやし、健康を与えることができるのです。
2 主イエスとの出会い
目が見えるようになったことも嬉しかったのですが、それ以上に彼が求め、また経験した最高の祝福は、救い主である主イエスを「主よ、信じます」といって拝する者に変えられたということなのです。
彼の生涯は変わりました。世の光である主イエスが来てくださったのです。彼の生涯は光なる主イエスと出会うことによって変えられました。
3 主を証しし、賛美する生涯へ
彼は言いました。見える!見える!あの方が私の目を見えるようにしてくださった! 黙らせようとしても、彼は止めません。むずかしいことは何にも分からない。でも、こんな私でも分かる! 私は見えなかったのに今は見ることができる、そして私を見えるようにしてくださったお方は神から遣わされた救い主だ!彼はイエスさまを信じる者として生きていったのです。まさに彼の生涯に光が差した。彼の上に神の御業が現れされたのです。
彼が神さまのみわざをあらわしていただくためにしたことはなんだったでしょうか。それはイエスさまのおことばに従うことでした。
今日も私たちも前に、目には見えませんが主が立っていてくださいます。何も見えず、真っ暗闇の私たちに近付いて、世の光として私たちを照らしてくださいます。主イエスの言葉を聞いて従ってください。主は御言を聞いて従う者の心の目を開いて、光を与え、その生涯に御業をあらわしてくださるのです。
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