聞き流す言葉・聴く言葉 マルコ 5章35- 43節
イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた。「恐れることはない、ただ信じなさい」(36)
会堂司ヤイロの娘が病気で死にかかっていました。ヤイロは主イエスのところに行って、急いで自分の家に来てほしいと懇願します。
1 間に合わなかったイエス
主イエスはヤイロの願いを聞いて、彼の家に向かいます。けれども、人だかりで、なかなか前に進めません。ヤイロは気が気でなかったことでしょう。そしてついにヤイロが一番恐れていたことが起こります。間に合わなかったのです。
私たちの歩みの中にもそのようなことがあるかもしれません。神さまはできる、あなたは信じています。でもにもかかわらず、このようなことが起きてしまう、神さまにはできるのだけれど、間に合わない、というそういうことです。
2 聞き流すべき言葉
「もうお嬢さんはなくなりました。間に合わなかったのです。今更イエスさまに来ていただいても何もすることはありません」。ところが、主イエスはその言葉を聞き流します。イエスが、いや彼女は死んでいない、眠っているだけだとおっしゃった時も、人々はイエスをあざ笑います。でもイエスはそれも聞き流すのです。
時に、私たちが聞き流した方がよい言葉があります。それは、もういまさら神さまにもできない、という不信仰の声であり、また私たちがイエスさまに従おうとする時に、聞こえてくるあざけり、イエスさまだってあなたを救えない。あなたにはなおさらのことだ、今更信じてもしかたがない・・・もうあなたには希望はない・・・そのような言葉です。
3 聞くべき言葉
けれども、私たちが耳を傾け、聞くべき言葉があります。それは「恐れることはない、ただ信じなさい」という言葉です。私たちの心が恐れでいっぱいになる時、主は言われるのです。「恐れることはない」。そして、おっしゃいます。ただ信じなさい。非常識と信仰とは違います。けれども、時に私たちは自分の考えや経験や知恵を越えて、語られる主のみ声を聞くのです。
主イエスの言葉には力があり、命がある。死人をも生かす。そして、彼女は起き上がりました。悪魔は私たちを失望させ、神に対してもつぶやかさせ、結局神さまも自分を救えない、と言うでしょう。聞き流して下さい。そして「恐れないで、ただ信じなさい」という言葉を耳と心に響かせて下さい。みことばはあなたを支え、あなたを生かし、あなたを救うのです。
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