隣り人を愛する マルコ 12章 28 -34節
第二はこれである。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(31)
律法の中で何が一番大事ですかという問いに対する答えは、神を愛するということでした。けれども、それにはとても大切な第二の戒めが伴っていました。それは自分と同じようにあなたの隣り人を愛せよということです。この隣り人を愛する、という言葉は第一の戒めのあった申命記の六章ではなく、レビ記の一九章にありました。レビ記では前半は神に近づいて礼拝するためにはささげもの、いけにえが必要であることが語られました。そしてレビ記の後半には、神を礼拝する神の民は聖なるものでなければならないと語られています。そして、まさに神の民のきよさということの中で隣人を愛するということが語られているのです。パウロはロマ13:8-10で、十戒の後半の部分についてはまさに、この隣り人を愛するという言葉で言い換えられるのだと言いいます。
それでは、隣り人を愛するとはどういうことでしょうか。レビ記一九章では隣り人を愛するということがとても具体的に論じられています。
それは・・・
1 弱い立場にある人を守る
いじわるをしたり、人がいやがることをするのではありません。弱い人を支え、助けると言うことでもあるのです。
2 公平・正直に生きる
それは不正を行わず正義を行うと言うことです。えこひいきをしたり、人を外見で差別したりしないということなのです(ヤコブ2:1-13)。
3 悪を行う人に仕返しをしない
イエスさまは敵を愛し、迫害する者のために祈れと教えられましたが、まさにこの隣人を愛するというのは直接的にはこの文脈の中で語られるのです。親しい人でありながら、私たちを裏切り、さげすむような人たちということに悪をもって報いない、仕返しをしないということです。
4 互いに仕え合う(ガラテヤ5:13-15)
パウロは私たちは自由だ、と言います。私たちはキリストの十字架によって贖い出され、もはや罪の奴隷ではありません。私たちは自由です。ではその自由とは何か、パウロは、それは足を引っ張り合い、自分の権利を主張し合うのではなく、「仕える自由」だというのです。
神さまはあなたに隣り人を愛しなさいとおっしゃいました。神さまはきっとあなたにあなたが愛すべき隣り人を示して下さるはずです。自分を愛するように、そしてイエスさまが愛してくださっているように、その人を愛するものでありたいのです。
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