満腹する人生 マルコ 6章 30- 44節
みんなの者は食べて満腹した。(42)
私たちの生涯の中には心も体も空腹感や疲れを覚えることが多くあります。
1 私たちを満腹させてくださる主
私たちは疲れています。途方に暮れています。お腹もぺこぺこです。そして右を見ても左を見ても、誰も私を助けてくれそうにありません。けれどもどうぞ知ってください。私たちの心の渇きがどんなに深いものであったとしても、イエス・キリストはあなたの心に満腹を与えて下さるのです。
この五千人の給食の記事ですが、この現場にいた人たちは歴史の中に起こった一つの出来事を思い起こしたようです。それはイスラエルの民がエジプトで奴隷だった所から救い出された時、二百万とも言われた民が荒野で食べるものがない。けれども神は、四十年間マナという特別な食べ物を降らせて彼らを養って下さった。これがまた栄養のバランスが満点で、イスラエルの民は荒野での四十年間を健康に過ごすことができた。
心が渇き、心が空っぽになっている人はいらっしゃらないでしょうか。知って下さい。主イエスはあなたの心に満腹を与えて下さるのです。
2 分け合う祝福
このところで満腹になったのはそこに集まった人たちみんなでした。
そこではだれも空腹の人はいませんでした。この世の原則から言うと、誰かが得をすれば誰かが損をしています。
けれども、神さまの祝福はみんながお腹がいっぱいで満腹するのです。
主イエスがそのパンを裂き、また他の人たちもまたパンを手渡していきます。ええ?そんなに五つのパンだから1つで千人? どう考えても満腹なんてできない。でも主イエスから渡されたものを分け合っていく中でみんなが満腹していくのです。
3 裂かれたパン
ここで、主イエスはパンを裂き、弟子たちに出渡しました。後に、教会はこのパンを裂くと言うことを集まるたびに繰り返すようになりました。そして、このパンを裂くたびに、十字架の上で、主イエスがその肉を裂いて下さったことを思い起こしたのでした。私たちはどのように満腹していくのか。聖書はそこに主イエスの十字架があることを指し示しています。私たちの心の渇き、心の疲れ、心の飢えを癒すのは、主イエス・キリストの十字架です。主イエスは私たちの罪を十字架の上で負って、死んでくださいました。そしてこの十字架が自分の救いのためだということを受け止める人を救ってくださるのです。
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