悲しむ人への慰め Uテサロニケ 2章 16- 17節
わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜るわたしたちの父なる神 (20)
私たちは東日本大震災から一年を迎えました。私たちは、この時、悲しみを新たにしておられる方々に思いを向け、主に祈りをささげたいと思います。
さて、パウロはピリピの次にこのテサロニケに行きました。そしてそこでも主イエスを信じる者たちが起こされました。多くの困難があり、また、本当に、イエスさまを信じていて間違いないのだろうかという迷いが生じてきていたのです。
私たちもまた様々な困難や疑いの中に置かれることがあるかもしれません。けれどもそのような私たちにも神は語ってくださいます。
1 神は私たちを愛しておられる
様々な困難があるでしょう。そして悲しみの中を通ることもあるかもしれない。けれどもパウロが言ったのは、神は私たちを愛して下さっていると言うことです。神さまの前に自分を反省して悔い改めるべき事を示されるなら悔い改めて下さい。けれども、同時にいつも分かっていてほしいのですが、神があなたを愛しておられると言うことはかわらないのです。
2 永遠の慰めを与えて下さる
私たちの生涯には多くの悲しみがあります。けれども主は私たちの涙を拭き取って下さいます。それは単にかわいそうと分かって下さるということではありません。主は私たちを慰めて下さいます。聖書では「慰め」とはまさに「救い」を表す言葉です。あなたの悲しみがどんなに深いものであったとしても、あなたの涙をぬぐい、あなたにもう一度、笑いと喜びにみたしてくださる。そしてこの主が与えてくださる「慰め」は永遠の慰めです。だれもそれを取り去ることはできないのです。
3 確かな希望を下さる
悲しみ中にある人に必要なのは、「希望」です。神さまは私たちに希望をくださいます。そしてその希望は決して地に落ちることはないのです。私たちの人間的な希望は決して「確か」ではありません。けれども、この神がくださる希望は「確か」なのです。
だから
主に慰めていただき、励まされて、私たちは進みたいと思います。そしてそのために、主イエスは十字架にかかって死んで、それだけではなく、確かな希望の保証としてよみがえってくださったのです。
それは単に、私たちが元気になって、よりより生活を送るためというのではありません。神に強めていただいて、私たちは良いわざを励み、正しい言葉を語る者とされていくのです。
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