恵みがあふれて マルコ 6章 30〜44節
それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。みんなの者は食べて満腹した。(41−42)
そこはさびしいところでした。そこには男だけでも五千人の人たちが集まっていました。夕方が近づいてくる中で、食事のことも心配しないといけない。イエスさまは弟子たちにあなたたちが何とかしてあげてなさい、とおっしゃいました。でもどうすればいいのでしょう。そこにあったのはパンが五つと魚が二匹だけでした。でもイエスさまはそのパンと魚を祝福されたのです。
そして弟子たちにわたし、弟子たちが配っていったら、みんなが満腹したのです。がまんしたのではありません。遠慮したのでもありません。イエスさまはみんなを満腹させてくださいました。
神さまが私たちを祝福し、神さまが私たちを満たして下さると言うときに、神さまは決してケチケチしていません。神さまはありあまるほどの豊かな祝福を与えて下さるのです。
神さまの祝福をいただくために必要なことは何でしょうか。
1 まず神にささげる
手元にあったのはパン五つと魚2匹でした。でも、そのパンと魚を自分で握っていたら、そのパンと魚は一人分のお弁当でおしまいです。大事なことは、自分にあるものを神さまにささげることです。神さまは「これぽっちか」とはおっしゃいません。ただ、どうぞ神さまの手にゆだねるときにはちょっとずつではなく、思い切って大胆にささげて下さい全部神さまの手にゆだねるのです。神さまはあなたのささげものを喜び、それを豊かに祝して下さるのです。
2 主イエスの祝福にあずかる
イエスはそのパンと魚を祝福してくださいました。大事なことは、あなたがどれだけ思い切ってささげたかではありません。たかが5つのパンです。パンが偉かったのでも、そのパンをささげた少年が偉かったのでもありません。そのパンと魚を祝して下さったお方がすばらしいのです。私たちの歩みの中には様々な荒野を通るようなことがあるかもしれません。でも何がなかったとしても主の祝福があったら大丈夫なのです。
3 みんなで共に喜ぶ
ここで弟子たちはパンを配るのにみんなで協力しました。弟子たちだけでなく、他の人たちもみんな協力したでしょう。そして、みんなが満腹したのです。誰も飢えていたりひもじい思いの人はいませんでした。みんながとてもうれしい顔をしていたことでしょう。みんなで食べて、みんなで満腹した。神さまの祝福の道はそのような道です。
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