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あなたは私に何をしてほしいのか ルカ18章35- 43節
テッド・レンドル博士
そこでイエスは立ち止まって、その者を連れて来るように、とお命じになった。彼が近づいた時、「わたしに何をしてほしいのか」とおたずねになると、「主よ、見えるようになることです」と答えた。(40-41)
今朝、主イエスが顔と顔を合わせて、「あなたのために何をしようか。」と問われたら、あなたは何と答えますか。今も主はここにおられて私たちと会って下さいます。私たちは自分の目で主を見ることはできませんが、御言を信じ、イエス様を信じるのです。 目の見えない盲人にこの質問をされたお方は、ナザレのイエスー救い主、ダビデの子―約束されたメシヤ、そしてイエス様だけに与えられる称号、主なるお方です。この主なるお方が、何をして欲しいのかと私たちに質問されているのです。
人々は、@自分自身の霊的必要に気づかず、大きな必要を知らないA霊的必要に無関心、B優柔不断で主に信頼して決断できないC必要、大きな渇きを知っているD単に知っているだけでなく、熱心に求め続ける、五つのグループがあります。「主よ、私を祝福して下さい」と求め続けていきましょう。
イエス様が私たちに問いかけられる時、何をお願いすることができるのでしょうか。本当に信じて求めるならば、大きなことを求めることが大事です。
豊かな霊的な命、自由、霊的な光、平安、溢れる喜び、そして他のものを求めることができます。
主イエスが「私に何をして欲しいのか」と聞かれる時、あなたはイエス様があなたのために本当に聞いて下さり、答えて下さると信頼しておられるでしょうか。イエス様に求めて得られずに、追い返された人はいません。解決できない問題はありません。主は信頼出来るお方です。
この盲人は、はっきりと自分の必要、「眼が見えること」と直ぐに答えました。本当にイエス様こそが、信仰の向かうところです。
そして最後に、私たちがイエス様に必要を申し上げ、主イエスがその求めに答えてくださった時、私たちはイエス様にどのようにお応えするのでしょうか。盲人は、目が見えるようになっただけでなく、イエス様の弟子になり、生涯が大きく変わりました。そしてこれを見て、人々は神様を讃美しました。私たちの生涯が人々に影響を与えていきます。イエス様がして下さったすばらしいことを誰かに証しして行こうではありませんか。主は私たちの生涯にも同じような御業を行ってくださるのです。
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