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私の献身 ヨハネ 12章 1 -11節
神田 めぐみ師 (上池教会・牧師)
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。(3)
主イエスが十字架にかかる前、愛する人たちとの温かい最後の食事の最中に起きた出来事です。大勢の人々が主イエスに会うだけでなく、主がよみがえらせたラザロを見るために集まりました。この時は主イエスには、ご自分が歩むべき道、十字架を見据えて大きな業が行われる前の、ひとときのかえ難い安息の時でした。
その時、突然マリヤが高価な香油(一年分の賃金相当)を持って来て、その油を惜しげもなく主の足に注ぎ、髪の毛でその足を拭きました。彼女の行為は、マリヤらしい行動ですが、普通ちょっと理解できない、驚きの行動です。
彼女は主に対する感謝の気持ちを表したかったのでしょう。主イエスは、彼女の行為をとても喜ばれ、深い意味を持たせられました。汚れた足を拭くのは、奴隷の仕事で、彼女は高価な油を使い、とても大切にしている自分の髪の毛で拭きました。そこには彼女の愛と献身が表されています。昔、イスラエルの王、預言者が神から任命される時、油が注がれました。この彼女の行為は、主イエスは神から遣わされて、その使命を全うする者、イスラエルの王として任命されていることを受け止められ、葬りの準備のためと言われました。弟子たちは、救い主が罪人として十字架にかかることを受け止められず、否定しました。しかし、主は油が注がれた時、自分は死んで葬られることによって救いが完成されることをひしひしと感じながら見据えておられました。この出来事は、大切な、特別なことです。
主イエスの信頼を得て、財布を任されていたイスカリオテのユダは、彼女の行動にがっかりし、直ぐにその価値を計算して、貧しい人に施すべきだった、と文句を言います。彼は財布の中身を誤魔化していて、何とか帳消しにできないかと考えていたからです。彼の言葉は正論のように見えますが、貧しい人に対して愛も憐みもない、自分の利益を考えての言葉でした。
私たちが生活している中で起こってくる出来事や言葉の中には、自分たちの考えでなかなか理解できないことがあります。神が私たちの奉仕をどれだけ喜んで下さるのかも、なかなか測り知れません。時にはそれは誤解され、理解されません。
目に見えるものだけでなく、その背後に居られる神の存在を本当に覚えて、たとえ小さなことでも、そこに神の御業が進められ、満ち溢れることを信じ、精一杯のささげものをささげつつ、歩んでまいりましょう。
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