わたしの隣り人 マルコ 12章 28 -34節
第二はこれである。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(31)
わたしの「隣り人」とは一体誰のことなのでしょうか。
1 目に見える兄弟姉妹
イエスさまは弟子たちに対してこのように教えられました。私はあなたがたに新しい戒めを与える。私があなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハネ13:34、ヨハネ15:12、Tヨハネ4:11〜21)。神さまを愛する人は、目に見える兄弟を愛するべきです。共に主にあって愛され、またあがなわれたお互いだからです。
2 家族
次に愛し合うべき隣り人として語られているのは家族です。神さまによって愛され、神さまを愛する生き方は、必ず、その家庭生活において実践されていくのだというのです。たとえば、聖書では人間関係の基礎として夫婦関係を取り上げるのですが、愛し合って結婚し、愛し合って当然と思われる夫婦であっても愛し合い、関係を築き上げて行くには努力がいります。隣り人を愛しなさい、と言うときに、私たちは自分の妻や夫、子どもや親を愛することを求められているのです。
3 わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人
マタイ25章31節以降のところでイエスさまは審判の時のことについて語っておられます。そして王は、私の兄弟であるこれらの最も小さい者たちの一人にしたのはすなわち私にしたのだという。大勢でないかもしれません。最も小さい一人に対する愛の業。でも、神さまはおっしゃるのです。あなたの隣人であるこの人はわたしの兄弟なのだ。
4 隣り人には際限がない
身近な人から愛することはとても大切です。でも同時に隣り人には限界がありません。あなたは隣人だけど、あなたは違うからねと線を引かないのです。あなたに反感をもつ人、あなたの敵、またあなたにとっての外国人・・・隣人はそこまでも広がっていきます。
神さまは私たちのことをご自身の「隣り人」と見てくださって、あなたは私の隣人だと言ってくださって、私たちに近づき、私たちに大きな愛を注いでくださいました。そして、神さまが私たちにしてくださったように、私たちは口先ではない、具体的に神さまを愛し、人を愛していくことを求められています。愛するというのは言葉ではありません。具体的な行動なのです。
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