ただひとりの主を信じて マルコ 12章 28 -34節
イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。(29)
このお方はただひとりの主だ、と聖書は言います。ただひとりの主、というところに立たないと神を愛して生きることはできないのです。なぜ聖書は、神はひとり、ということにこだわるのでしょうか。
1 神はユニークなお方だから
私たちはみなユニークな存在です。世界中探してもあなたはここにしかいない。いろいろな時代を探しても、あなたは今、ここにしかいないのです。
それと同じように神さまはユニークな存在です。他に神さまはいないし、聖書においては「神」とか「主」というのは普通名詞ではない。まさに固有名詞であって、他にはいない、ユニークな存在なのです。
2 救い主はただ一人
「神」はユニークなのだ、と申しあげました。それでは神はどのようにユニークなのでしょうか。
どんな宗教にも知恵はあるでしょう。そこから学ぶべきことがたくさんあります。けれども、イスラエルをあのエジプトで奴隷であったところからあがないだしてくださったお方はただ一人です。私たちの罪を負って十字架にかかり、死を打ち破ってよみがえってくださったお方はただ一人です。
あなたの罪が赦されるために、十字架にかかって身代わりになって死んでくださった方はただ一人なのです。
3 主はねたむ神だから
十戒の中で、他には神はない、刻んだ像を造ってはならない、木や石の神々を拝んではならないと言います。それはあなたがたの主はねたむ神だからです。ねたむとは旧約聖書の中では「熱心」とも訳せる言葉です。神は「熱心」な神だから、と聖書は言うのです。それは神は本気で私たちを愛しているということなのです。
よく預言者たちはイスラエルの民がいろいろな偶像を拝むことを浮気にたとえました。こんなに本気で熱心にイスラエルを愛しておられる主がおられるのに、そのすばらしい愛の主を、生けるお方がおられるのに、神でも何でもない、木や石で作った像を拝む、これは愚かなことだ。神はねたむ神だ。あなたがいろいろな神さまを拝んだり夢中になっていたら、ねたむ。それはあなたを愛しているからあなたを本気で愛しておられるからです。
知ってください、こんな神さま、他にいない。あなたを愛し、あなたを救ってくださるのはただ一人の主なのです。私たちはこの六二年を振り返り、また新たに私たち一人一人と共に歩んで下さる主をあがめたいと 思います。
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