心をつくして マルコ 12章 28 -34節
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。(30)
主は心を見る。 (Iサムエル 16:7)
聖書は心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、というように教えています。主は、私たちが全部をささげることを願っておられます。私たちは「つくして」愛することを求められているのです。今日は心をつくして、ということを学びたいと思います。
ここで「心」と訳されている言葉は、内臓を意味する言葉なのですが、イスラエルの人々は、怒り、恐れ、喜びといった感情がそこに宿ると考えました。またいろいろなことを考えたり、決心するのも、この心の働きだと考えたのです。
1 罪を離れ、きよい心で(詩篇51:10)
神は私たちが心の中に汚いものをいっぱい抱えたままで愛していますと言っても、喜ばれません。私たちが罪を離れ、きよい歩みをすることを神は期待しておられるのです。知ってください。神様を愛して生きるためには、どうしても、この神様のゆるしときよめにあずかることが大切です。私たちは自分で自分をきよくすることはできないからです。
2 隠れたところを(Tサムエル16:7)
主は心をごらんになります。律法学者たちは、人からどう見られるかとか、人からほめられることばかり気にしていました。でも主は隠れた部分を見ておられます。言い換えると、動機ということです。人には見えないかもしれませんが、神は私たちの心を見、私たちの動機を見ておられるのです。私たちの動機が純粋かどうか。そこに混ざり物が入っていないだろうか。いつの間にか自己満足や人に褒められること、人に認められることを求める気持ちが入り込んでいないだでしょうか。
3 喜びをもって
愛するところには喜びがあります。人間同士の愛の場合には愛が裏切られて、傷ついて、愛することに臆病になってということもあるでしょう。けれども、知って下さい。神を愛するという時に、私たちが知るのは、神がまず私たちを愛してくださったということです。この神さまが私たちを愛して下さっている・・・私たちはそのことを知る時に喜びに満たされます。愛すると言うことは喜びです。いやいやながら、しぶしぶ、めんどくさいなあと思いながらではない。愛するということはうれしいことなのです。ネヘミヤが城壁を再建した時、彼は人々に言いました。これは主の聖なる日です。・・・主を喜ぶことはあなたがたの力です(ネヘミヤ8:10)。
心をつくして、主を愛せよ。私たちは主にきよめていただいて、喜びをもって主を愛するお互いでありたいと思います。
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