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2013年

キリストの心  ピリピ 2章 1 -11節

木林晃一郎師  

キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。(5)

 11節の"あらゆるものが膝をかがめ"るのが、礼拝の本来の姿です。私たちは、聖書がいう礼拝が意外とわかっていません。

1 主イエスの礼拝(6〜8節)

 ここに礼拝されるべきお方である、主イエスの礼拝の姿が描かれています。神のかたちであるお方が神と等しくあることを固守されずに、己を虚しくして人間の姿になられ、十字架の死に至るまで従順であられた。車田先生は、主イエスの礼拝のお姿を、「キリストの謙卑」と表現されました。パウロは、その主イエスにあらゆる舌、あらゆるものが膝をかがめるためであると言いました。
 そしてこのお方は人間のお姿になられたうえで、十字架の死に至るまで従順であられた。「類まれなる服従」です。これが礼拝されるべきキリストの礼拝の姿なのです。

2 私たちの礼拝

 そのような主イエスのお姿を前にして、私たちの礼拝はどうあるべきなのでしょうか。

@キリストの心を心とする礼拝
 5節の文語訳は「キリスト・イエスの心を心とせよ」でした。この部分を直訳すると「あなたがたの取るべき態度は、キリスト・イエスの中に存在していたものです」となります。神であられたお方が、おのれをむなしくして僕のかたちをとり、人間の姿になられた、この主イエスの中に存在していたものこそが、私たちの取るべき態度。ここに私たちのあるべき礼拝の姿が掲げられています。類まれなる謙卑と服従。礼拝を考える時に、ここが抜けていたら、礼拝でも何でもなくなります。  パウロはピリピの教会の状況を知っているので、どうか同じ思い、同じ愛の心を持ち、心を合わせて、一つ思いとなって、各々自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい、と言うのです。

Aライフスタイルとしての礼拝
 礼拝は、福音に相応しいライフスタイル(生活様式)、満ち足りた喜びです。主イエスを抜きにした喜びは必ず後味に虚しさが伴いますが、主イエスを信じる喜びは、本当に満ち足りています。主イエスに出会っていれば、キリストによる慰め、愛の励まし、霊の交わり、熱愛、憐みがあります。そのように、主イエスと出会う時に心の中に与えられる祝福・福音に相応しく生活をしなさい、これが礼拝の原点なのです。最も大事なのは、生活様式としての礼拝です。私たちは主イエスと出会っている者として、生活様式としての礼拝を、主との関わりの中で実践することを期待されています。主イエスはそのような生活様式としての礼拝を通して、私たちを祝福の源として用いて下さるのです。  

  


   
 
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