起きよ、光を放て イザヤ 60章 1-3節
起きよ、光を放て、あなたの光が臨み、
主の栄光があなたの上にのぼったから。(1)
1 やみの中で
この朝、私たちはイザヤ書の六〇章から、起きよ、光を放て!というメッセージを聞こうとしています。実際には、イザヤが語った時代は明るい時代ではありませんでした。そして、彼はこれから、ますます闇は深くなることを知っていました。人々は罪を犯し続け、エルサレムはバビロンの軍隊によって陥落し、人々は捕囚の地に引いて行かれる。暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう・・・そして、イザヤから
100年、150年後の民は、捕囚の地でイザヤの預言を読みました。イザヤの語った通りのことが起こっていました。
2 朝日が昇る
イザヤは、絶望的な悲しみを語るだけで終わりませんでした。しかし、あなたの上には、主が朝日のように上られる。主の栄光があなたの上に上る。今がどんなに暗かったとしても、夜が明けて、太陽が上ってくるように、あなたに光が差し込んでくる。主は、そのイスラエルの民を見捨てられない。主が朝日のように上られる。主はその栄光をもって、わたしたちを照らされるのです。
3 起きよ、光を放て
けれども、イザヤはそれで終わりません。主があなたを照らし、あなたの上に上られるから、さあ、あなたも起きよ、光を放て!というのです。主があなたを照らされる時に、あなたも光り出す。このあなたと呼ばれているのは直接的にはエルサレムのことです。廃墟となったエルサレムにまた人々が帰って来て、栄えを取り戻す。世界中の国々が、その王たちがエルサレムに集まってくるのです。主はあなたを照らされて、あなたは輝きを取り戻す。世界中の人たちがそのことを知る。
◆光なる主に照らされて
直接的にはこの預言はイスラエルの民が捕囚から帰還していく中で成就しました。そして61章を見ると、これが、まさに主イエスにあって実現していることを見るのです。あのクリスマスにこの世に来て下さった主イエスは、あなたにも目をとめ、あなたをも照らし、あなたを光として下さるのです。
起きよ、光を放て・・・それは私たちのがんばりによって実現するのではありません。私たちを照らしてくださる主が、この年、そのことをしてくださるのです。
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