精神をつくして マルコ 12章 28 -34節
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。(30)
精神を尽くして・・・というと、私たちは、やっぱり気合いを入れて、しっかり、がんばって・・・と思います。しかしここで「精神」と口語訳聖書で訳されている言葉ですが、もともとは「命」と言う意味であり、いわゆる「体」に対する「精神」とか「魂」とかという意味のある言葉です。つまりここで精神を尽くして、という言葉にあるのは、神からいただいている命を精一杯用いてと言うことなのです。
1 与えられたいのちの大切さ
この「精神」という言葉ですが、創世記の最初から出て来ます。神さまが世界を造り動物を造っていく。そこで「生物」「生きた物」がつくられていくのです。創世記の二章では、神さまが地のちりをもって人間を作られたということがあります。神がその息を鼻から吹き入れられると、人は生きたものになったのです。
知ってください。私たちは自分で生きているのではありません。いかされているのです。私たちは気がついた時にはこの世に存在していました。そして昼も夜も意識がある時も寝てしまって何の記憶も無い時でも、私たちは生きています。
そして、この「いのち」というのは、生き生きと、神との交わりの中に生かされているということなのです(詩篇23:3)。まさにこの「精神」(魂)は神との交わりをする主体なのです。
2 命よりも大切なもの
いのちはとても大切なものです。粗末にしてはいけません。けれども、死なないということが、私たちの生きる目的ではない。主イエスはおっしゃいました。自分の命を救おうとする者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者はそれを得る。そして、神は私たちを招かれます。精神をつくし、命をかけて神を愛するように。愛するというのは、命がけです。命よりも大切なものがある。それは自分の命を粗末にするということではありません。神を第一にしていくと言うことなのです。しかし知って下さい。私たちが神さまのために命を捨てる、命をかけるよりもずっと前に、神がその大切なひとり子の命を私たちに与えて下さったのです。
3 命の最後の日まで
神を愛するというのは、確かに今日、求められている事であると共に、死に至るまでということです。信仰を全うし、神を愛する生涯を全うすると言うことです。その生涯を通して神を愛し、神に仕えて行くのです。
精神を尽くして・・・そこにあるのは神から与えられたいのち、神を大切に、神のために仕えて生きていく、いのちの日の限り。神は私たちにそのことを期待し、求めておられるのです。
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