自分を愛する マルコ 12章 28 -34節
第二はこれである。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(31)
さてここで人を愛する、ということですが、人を愛するというところの前に、「自分を愛するように」と言われています。「自分を愛する」とはどういうことでしょうか。
1 自分を好きになる・・・自分に対して優しい視線を向ける
自分を愛するように、ということは、自分を好きになるということです。人と比べてどうだとか、人と同じでないからダメだということではない。あるがままの自分を好きになってください。神さまはそんなあなたとしてあなたを造られたからです。人の評価や時代の流行に縛られることなく、あなた自身に暖かい評価を与えて下さい。
2 自分を大事にする
それはまた、自分を大事にするということです。神さまに生かされている自分を大事にする。それは決して自己中心ではありません。自分の体を大事にする、だから暴飲暴食しない、健康に留意する、自分の霊を大事にする。だから罪から離れる。自分を大事にできない人が人を大事にできるとは思えません。
3 愛されている自分を知る
ここでイエスさまは自己愛の大切さを説いたのでもなく、またナルシストを賞賛しているのでもありません。自分のことが本当によく分かったときに、私たちは自分を愛することができるのか。人の前ではいろいろ取り繕うこともできる。また格好良く見せることもできるかもしれません。けれども本当の自分が見えてしまったときに、それでも自分を愛することができるのか。
イザヤは神さまの御言葉を聞き、それを語る預言者でした。彼は王に近づき、王に対してももの言うことができました。実際、彼はその当時の国のリーダーたちの本性を見て、絶望します。けれども、同時に、イザヤが聖なる神の御前に立たされた時に、彼は「ああ私はもうダメだ、おしまいだ!」と叫ぶのです。本当は自分のことが分かってしまったら、私たちはまさに絶望するしかない。
まさに本当の意味で、私たちが自分を愛することができるとしたら、それは自分がいいやつだということではない。まさに神さまが私を造ってくださって、今も私を愛し、私を贖い、私のことを良しと言っていてくださる。まさに、そこに私が自分を愛するという根拠はあるのです。そして、神さまが愛していてくださるゆえに、私は自分が好き。そして、それと同じように、私のすぐ身近にいる隣り人のことも愛していく。神さまはそのことを求めておられるのです。
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