疲れた人への福音 マタイ11章 28〜30節
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。(マタイ11:28-30)
主イエスのよい知らせ、福音は今、この時、あなたにも届けられています。
1 あなたも招かれている
あなたも招かれています。世の中では、優秀な人、元気な人、才能が豊かな人、前向きな人、明るい人が人気があるかもしれません。けれども主イエスはそうではなくて、つかれた人、重荷を負っている人、苦労している人を招いてくださり、「わたしのところに来なさい」とおっしゃいます。
それが、様々な困難や苦難、人間関係の悩み・・・私たちには様々な弱さや痛み、そして不安があります。けれども、どんな重荷にまさって私たちを苦しめるのは私たちの罪の問題です。罪は私たちをがんじがらめにし、私たちを苦しめ押しつぶしてしまうのです。
また、主イエスの時代、宗教家たちは様々な規則や規定を作って人々をしばりました。自分の力だけでがんばって天国を勝ち取らなければならない、という中で人々は疲れ切っていました。
まずお勧めしたいことがあります。まず自分が疲れていることを認めることです。知ってください。イエスさまは疲れている私たちを叱りつけたり、ダメ出しをしたりしないからです。
2 あなたにも休みが与えられる
ここで主イエスが疲れた人たちに語られるのは、休みがないあなたに休みが用意されているということです。イエスが語られるのは魂の休みです。魂の休みが与えられるのです。
このお方はただ、私たちを呼んで、そこでごろごろしてな、とおっしゃるのではありません。あなたのためにくびきが用意されている。イエスさまが共にその重荷を担ってくださるからです。そして、イエスさまは私たちをみそばに呼びつつ、あなたに生きる意味と働きとを与えて下さるのです。
イエスさまは私から学びなさいとおっしゃいました。それは講義を受けたり本を読んだりではなく、イエスさまと一緒に歩み、イエスさまと一緒に働く中で学んでいくということなのです。
わたしのくびきを負ってわたしに学びなさい、という部分でこのような訳をしている聖書があります。強制されない、恵みのリズムを学びなさい。何かをさせられている、そして自分の自由がきかないという状況は私たちを疲れさせます。でも主は、強制されてではない、恵みのリズムを私たちに学ばせて下さるのです。
イエスさまは私たちに休みを与えるために、十字架にかかって、死んでくださいました私を休ませてくださるのはイエスさまだけなのです!
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