神を愛する生涯 マルコ 12章 28 -34節
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたのの神を愛せよ。(29)
イエスさまは旧約聖書で一番大事なのは神を愛することだとおっしゃいました。ここで聖書が言っているのは、神を信じるでも、恐れるでもなく、神を「愛する」ということです。
1 神を第一にする・・・選びの愛
愛するということは単に好きと言うことではありません。感情でもありません。特に旧約聖書で「愛する」と言った時、それは「選ぶ」ということです。愛するという時には、そこには神を選ぶということであり、言い換えると、神を第一にするということなのです。私たちは神さまを愛しているでしょうか。だったら、私たちは神を第一にすべきです。
2 神との親しい交わりの中に生きる
第二に、愛するとは親しい関係の中に生きるということです。いつも主と共に歩む、生きる、そのことを喜びとする。
本来、私たちは、神と何と関係もゆかりもない者でした。けれども、そんな私たちを神がまず愛し、救い出してくださった。そして、聖書は「契約」という言葉を使うのですが、神との契約の中においてくださった。愛するとはこの契約に対して真実であり続けると言うことです。
具体的には毎日毎日、主との交わりの中に起き続ける、聖書を開き、祈り、礼拝す
る。私たちにとって大切なのは、神の契約の中にとどまることです。神がその力強い御手をもって救い出してくださった。だからこのお方を信じ、従うというその契約の中に留まり神の御言を聞いて従い続けることです。
神と共に歩んでいくと、神さまのすばらしさがますます分かってくる。ああ、神さまがこんなに恵み深い方だとは思わなかった・・・そんなことの連続なのです。知ってください。裏切ってしまうのはいつでも私たちの方です。神はいつでも真実なのです。神はいつも私たちを愛し、私たちと共にいることを喜びとしてくださるのです。神の愛の中に留まり続けてください。神の愛の中にとどまる時に、神との間の交わりが深まり、神を愛する愛も深まっていくのです。
おわりに
私たちに愛を求められる神ご自身が、まず、私たちを心から愛してくださいました。それは私たちがすばらしかったからではありません。私たちは欠けだらけでした。でも神は私のことを愛してくださったのです。これは確かです。神の子イエスの十字架を見つめる時に、私たちは神の愛を知ります。そして、私たちもまた神を愛する生き方を求められているのです。
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