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哀歌 3章1〜33節    2018年5月4日

主のいつくしみは絶えることがなく、
そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。(22〜23)

 三章は66節まであります。ヘブル語アルファベット22文字の各文字から始まる節が三節ずつになっているのです。
 この作者は自分たちを滅ぼしたバビロンに怒っているのではありません。作者はこのことが自分とイスラエルの民に起こったのは自分たちの罪に対する神の裁きであることを知っていたからです。しかし、この作者は、深い悲しみと悔い改めを抱きつつ、なお主を仰ぎます。この状況で一体、自分は誰に頼り、何にすがるべきなのか。作者は廃墟の中にあって、一つのことに心をとめ、そこに自分の望みを置きます。それは主です。主の変わらないご真実にこの作者はすがるのです。確かにイスラエルは罪を犯し、神は怒りをあらわされたでしょう。自分の罪を認めて、新しい歩みを始めることが求められています。けれども同時に、作者は尽きることのないあわれみを朝ごとに新しくあらわしてくださる主を仰ぐのです。

哀歌 3章34〜66節    2018年5月5日

わたしがあなたに呼ばわったとき、
あなたは近寄って、『恐れるな』と言われました。(57)

 「悔い改め」とは「帰る」という意味のある言葉です。ですから悔い改めは、懺悔とは違います。後悔とも違います。罪を白状するということでもありません。主は私たちの罪を全部知っておられます。それは神の前に正直に自分の罪を認め、砕かれた心でその御前に近づくことです。神の方に向き直り、方向を変えて、新しい歩みを始めることです。神に立ち帰ることなのです。
 この作者は荒廃の中で、自分の罪を認めて神に向き合います。手を上げて主に祈るというだけではなく、心を主にあげて主に叫ぶのでした。そのような厳しい状況の中にあっても、主は作者に近づいてくださいました。そして、「恐れるな」と声をかけてくださったのです。「恐れるな」という呼びかけはイスラエルの歴史の中で繰り返される主の語りかけです。それだけ、私たちの歩みの中には「恐れ」を伴う状況が多いとも言えます。そして、主は砕かれた悔いた心をもって近づく者をあわれんでくださるのです。



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