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ヨエル 2章1〜17節 2018年7月24日 |
主は言われる、「今からでも、あなたがたは心をつくし、
断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。
あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」。
あなたがたの神、主に帰れ。(12〜13) 厳しい裁きとしての「主の日」が近づいていました。ヨエルが見ていたのはまさに他国の軍隊がエルサレムに襲いかかり、滅ぼしていくという幻でした。イナゴの害や、それにつづく飢饉よりももっと厳しい滅びの時が迫っていました。それはイスラエルの民が神を捨て、神に背を向け、罪に陥っていたからです。
そのような中で主の裁きを語ったヨエルは、神の悔い改めへの招きを民に伝えます。心をつくし、心砕かれて、主に立ち帰ることが求められていました。「主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災いを思いかえされる」という呼びかけは、イスラエルの中に共有されていた信仰告白でした。イスラエルの民はこれまでもずっと主のあわれみによって支えられ、生かされて来たのです。単なる表面的な言葉ではなく、まさにその信仰に立って、主に立ち返ることが求められていました。そして、個人もそうですけれども、祭司たちが先頭に立ち、民が心を一つにして主の前に出ることが求められていました。
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ヨエル 2章18〜32節 2018年7月25日 |
その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。
あなたがたのむすこ、娘は預言をし、
あなたがたの老人たちは夢を見、
あなたがたの若者たちは幻を見る。(28) 主は、悔い改めて主に立ち返る者。主のあわれみを求める者をあわれまれずにはいられませんでした。主の日に厳しい裁きの下に置かれたイスラエルの民が再び栄える日が来る、主がその祝福をイスラエルの地に返し、喜び楽しませてくださる日が来るのです。それはまさに不思議な業で、主が共にいてくださる、主がそのことをしてくださった、としか言いようがないのです。
主のゆるしと回復と祝福は単に、目に見える繁栄だけにあらわされるのではありません。主はイスラエルのうちに住み、ご自身の霊を注ごうとしておられました。それは特別な人だけに起こることではありませんでした。「すべての肉なる者に」起こることであり、老人にも若者にも、またしもべ、はしためにもそのことが起ころうとしていました。人々は主の霊によって幻を見せられ、主の名を呼んで救われるのです。そしてやがてペンテコステの日にヨエルが語ったこの言葉は実現したのでした。
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