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使徒行伝 25章1〜12節 2013年8月5日 |
「・・・もし彼らの訴えることに、なんの根拠もないとすれば、だれもわたしを彼らに引き渡す権利はありません。わたしはカイザルに上訴します」。(11) さて総督がペリクスからフェストに交替します。ユダヤ人たちは、エルサレムを訪ねたフェストにパウロのことを訴え、彼をエルサレムに戻してほしいと願い出ます。カイザリヤに下っきたら訴えを聞こうという、フェストの言葉に従って、ユダヤ人たちはカイザリヤに下り、パウロに対してさんざん思い罪状を申し立てます。しかし、証拠をそろえることができません。
フェストはエルサレムで裁判をしようかとパウロに提案しました。しかし、エルサレムは非常に危険です。パウロはエルサレムに上ることをよしとせず、かえってローマ皇帝に対して上訴します。それはエルサレムを避けたという以上に、ローマに行くために、神がパウロに耐えられた神の知恵でもありました。ずっと心に温めてきた計画だったというよりも、とっさに思いついた知恵だったのかもしれません。しかし、パウロは主の言葉によって、自分が必ずローマでも福音を語ることになるということを知っていたのです。
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使徒行伝 25章13〜22節 2013年8月6日 |
ただ、彼と争い合っているのは、彼ら自身の宗教に関し、また、死んでしまったのに生きているとパウロが主張しているイエスなる者に関する問題に過ぎない。(19) アグリッパ王とベルニケがフェストの就任祝いにやってきます。アグリッパ王はヘロデ大王のひ孫にあたる人物で、ガリラヤ湖の北方、東方の統治を任されていました。ベルニケは数奇の人生を送った人ですが、アグリッパ王の妹にあたりました。彼らの滞在が長引く中で、フェストは二人にパウロのことを話し、彼らにも意見を聞こうとします。
フェストは自分なりの所見も語ります。このパウロは何かの重大な犯罪を犯したというよりも、信仰上の問題について他のユダヤ人たちとトラブルになっている。そして、その問題となっているのはすでに処刑されて死んだイエスという人物についてだ。パウロはこのイエスがよみがえって生きている、と主張している。ある意味で、短期間でフェストは問題の根幹を比較的正しく理解していたと言えます。パウロは主イエスは生きていると語らざるを得ませんでした。よみがえられた主イエスと出会い、救いを経験したからです。
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使徒行伝 25章23〜27節 2013年8月7日 |
翌日、アグリッパとベルニケとは、大いに威儀をととのえて、千卒長たちや市の重立った人たちと共に、引見所にはいってきた。すると、フェストの命によって、パウロがそこに引き出された。(23) ユダヤ人たちは、パウロに対して殺意を燃やし、「これ以上、生かしておくべきではない」と叫んでいました。殺害計画さえ隠密に練られていました。フェストには,正直、パウロがそのような重罪人にはどうしても見えません。
けれども、パウロは皇帝に上訴しました。自分の身の潔白を晴らすためではありません。そのような形ででもローマに行き、そこでも主イエスについて証しをしたい、福音を伝えたいと願っていたのです。
アグリッパ王とベルニケを迎えて、パウロに弁明の機会が与えられます。告訴状を整えるためです。パウロは囚人として引き出され、取り調べを受けようとしていました。アグリッパ王とベルニケは大いに威儀を整えて、パウロを迎えます。二人の姿はパウロを威嚇するものであり、圧倒していたかもしれません。しかし、大胆さという意味ではまさにパウロの方がまさっていました。パウロは神の権威を帯びてそこに立っていたからです。
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