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使徒行伝 9章1〜9節 2013年5月23日 |
彼は・・・「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。(4〜5) さて、サウロは主の弟子たちを迫害することに非常な熱意をもって取り組んでいました。彼は、エルサレムだけではなく、周辺の町々にも働きを進め、遠いダマスコの町にも主イエスを信じる者たちがいるという話を聞いて、息を弾ませながらダマスコに向かっていました。
しかし、ダマスコの近くに来た時、天から光が差してきて、彼をめぐり照らし、声がしました。復活の主イエスが天からサウロを呼ばれたのです。サウロは「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねます。声は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えます。サウロは教会を迫害し、また主イエスを信じる人たちを迫害していましたが、直接主イエスを縛り上げた訳ではありません。しかし、この時、彼は教会の頭として生きておられるお方が主イエスであり、このお方がまさに主なるお方であることを知ったのです。サウロはあのステパノの説教も聞いていたことでしょう。まさにサウロがとんでもないと思っていた主イエスこそが聖書に約束された神の遣わされた救い主であることを知ったのです。
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使徒行伝 9章10〜19節 2013年5月24日 |
しかし、主は仰せになった、「さあ、行きなさい。あの人は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。(15) ダマスコにアナニヤという弟子がいました。サウロに語られた神はアナニヤにも語られます。そして、サウロがキリスト者として歩み始めていくためにアナニヤを用いられたのでした。
アナニヤは、神の語りかけを聞いたときに、とても信じることができませんでした。サウロがこれまで教会に対してどんなにひどいことをしてきたかはすでにアナニヤの耳にも入っていましたし、サウロがダマスコに来るというニュースはすでにダマスコにいたクリスチャンたちに届いていました。正直、アナニヤにも恐れがあったことでしょう。しかし、神はサウロのことを「わたしの名を伝える器として、私が選んだ者」と呼ばれたのでした。
アナニヤは神に従って出ていきます。そして、サウロに出会い、手を置いて、「兄弟サウロ」と呼びかけるのでした。
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使徒行伝 9章19〜25節 2013年5月25日 |
サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、ただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそ神の子であると説きはじめた。(19〜20) サウロは教会を迫害するためにダマスコに来たはずでした。そのニュースを聞いたダマスコのキリスト者たちはどれだけ祈ったことでしょう。おそらく、彼らが祈っていたのは、神が自分たちをサウロの手から救い出してくださるようにということだったでしょう。しかし、神は誰も予測できなかったことをしてくださいました。イエスはメシヤではない、と力強く主張し、教会の迫害の急先鋒に立っていたサウロは言ってみれば、一番救われるはずのない人物です。しかし、その彼が主イエスを信じ、バプテスマを受けて他の弟子たちと親しく語り合い、祈り合う者へと変えられたのです。
そして、このサウロは今度は「このイエスこそ神の子」と非常に大胆に語り始めたのでした。主イエスを信じた者は今度は主を証しする者へと変えられます。
教会を迫害していたサウロは今度は自分が命をねらわれることになります。この時からまさに文字通り命がけで主イエスを伝える人にされたのです。
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使徒行伝 9章26〜31節 2013年5月26日 |
ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名を大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。(27) ダマスコの町にいられなくなったサウロはエルサレムに戻り、エルサレム教会の弟子たちとコンタクトをとって仲間に加わろうと試みます。しかし、サウロが仲間にして欲しいと言っても、エルサレムの弟子たちはなかなか恐れて彼を受け入れることができませんでした。これまでサウロがしてきたことを知っていたら、そうなるのは当然でしょう。サウロが自分も弟子になった、と言っても、うまいことを言って教会の中に入り込み、もっとひどいことをしようとしているかもしれません。
しかし、そんな中で、バルナバはサウロの世話をしながら、彼のことをエルサレムの教会に紹介します。バルナバが口をきいてくれたことによって、サウロはエルサレムの弟子の仲間に加われることができたのでした。教会にはバルナバのように牧会的な心をもって仕える人が必要です。サウロはますます大胆に語り、教会もユダヤでもガリラヤでも、サマリヤでも力強い歩みをしていきました。
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使徒行伝 9章32〜35節 2013年5月27日 |
ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。(34)
主イエスを信じる人々が各地に散っていくなかで、ペテロは各地にいる弟子たちを訪ねては、彼らを励ましていきます。ここで出てくるルダとはエルサレムの北西にある町で、どちらかというと地中海に近い場所です。エルサレムからは直線距離でも三十数キロ離れています。そのような町にも弟子たちの群ができていました。
そのルダの町に八年間も中風で床についているアイネヤという人がいました。ペテロはこのアイネヤの横になっているかたわらに立ち、イエス・キリストがあなたをいやしてくださる、と宣言します。救い主であるイエスはあなたが自分でどうすることもできないこの病も癒すことがおできになる、だから起きなさい・・・。あり得ないことです。しかしペテロが、起きなさい、そして床を取りあげなさい、と呼びかけたときに、アイネヤはただちに起き上がったのでした。そして、さらに多くの人々が主を信じるようになりました。
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使徒行伝 9章36〜43節 2013年5月28日 |
そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。(39) ルダにいたペテロの元に使いが来ます。ぜひ速くヨッパに下って来て欲しいというのです。ヨッパは地中海沿岸の町ですが、その町にいたタビタという女性が病気になって死んでしまったのです。
ペテロがヨッパに着いた時、タビタは死んで屋上の間に安置されていました。するとやもめたちがペテロの元にやって来て、泣きながらタビタが作ってくれた下着や上着を見せるのでした。タビタはそんなに派手な働きはしなかったかもしれません。けれども、彼女は弱い立場にある貧しい女性たちと共に歩み、本当に身を削るようにして愛を注いでいたのです。私たちはどのような生き方をしているでしょうか。
ペテロはタビタのなきがらを前にして、ひとりひざまづいて祈りましたが、やがてタビタに向かって「タビタよ、起きなさい」と呼びかけます。するとタビタは目を開けて起き上がりました。この出来事を通してまた多くの人たちが主イエスを信じました。
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