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使徒行伝 15章1〜5節 2013年6月20日 |
さて、ある人たちがユダヤから下ってきて、兄弟たちに「あなたがたも、モーセの慣例にしたがって割礼を受けなければ、救われない」と、説いていた。(1) さてユダヤから聖書の教師を自認する人たちがやって来ます。そしてアンテオケ教会で新しく生まれた異邦人クリスチャンたちに、「あなたがたはモーセの律法に従って割礼を受けなければ救われない」と主張しました。このことは教会に大きな混乱をもたらしました。もちろん、割礼を受けていないクリスチャンたちも、割礼を受けることが主イエスの命令であり、神の御旨なのだ、ということでしたら、喜んで従ったことでしょう。
しかし、パウロやバルナバはこのことに非常に大きな問題を感じます。つまり、ことはきっと割礼を受けるというだけではすまないことでしょう。きっと次々に守るべき律法が加えられていき、律法の全体を守らなければ救われないということになってしまう。けれども、それは本当だろうか。しまいには律法を守るなら救われるということになり、主イエスのあがないによる罪の赦しの福音がどこかに行ってしまいかねない。パウロたちはアンテオケ教会の代表者数名を連れてエルサレムに上り、そこで協議をすることになったのでした。
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使徒行伝 15章6〜11節 2013年6月21日 |
人の心をご存じである神は、聖霊をわれわれに賜わったと同様に彼らにも賜わって、彼らに対してあかしをなし、また、その信仰によって彼らの心をきよめ、われわれと彼らとの間に、なんの分けへだてもなさらなかった。(8〜9) さてこの会議を「エルサレム会議」と言います。主イエスが復活・昇天されてすでに二十年、まさにキリスト教とユダヤ教との関係が問題とされていたのです。使徒たちや長老たちによって、この事に関して激しい議論がなされました。
その時にペテロが立ち上がります。彼は自分がコルネリオと、一緒にいた人々を救いに導いた時のことを思い起こして語ります。彼らは割礼を受けていませんでした。しかし、割礼を受けていなかったコルネリオたちに、あのペンテコステの日と同じように聖霊が下ったのです。神は、割礼を受けているか受けていないかで、扱いを分けられなかった。しかも、律法は自分たちも先祖たちも負いきれなかったものではないか、私たちは神の恵みによって救われるのではないか、とペテロは語ります。十二章でヤコブが殉教した中でペテロが守られたのはこの時のためだっただろうとも言われています。
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使徒行伝 15章12〜21節 2013年6月22日 |
預言者たちの言葉も、それと一致している。すなわち、こう書いてある、『・・・残っている人々も、わたしの名を唱えているすべての異邦人も、主を尋ね求めるようになるためである。・・・』(15、17) ペテロの発言を受けて、今まで喧(けん)々(けん)諤(がく)々(がく)の議論をしていた人たちは静まりかえってしまいます。ある意味、そこで議論をしていた人たちの心と思いとが主に向いたのでしょう。それからバルナバとパウロが自分たちを通して神が異邦人の間で何をしてくださっているかを証しします。
そして最後にヤコブが立ち上がります。このヤコブは主イエスのすぐ下の弟でした。ヤコブも主イエスが地上を歩んでおられる間はなかなか主イエスを理解することができませんでしたが、主イエスの復活後は教会の交わりに加わり、この時点ではエルサレム教会で一同から信頼されているリーダーになっていました。彼がシメオンと言ったのは、シモン・ペテロのことです。ペテロが語ったことと共に、旧約聖書を引用しながら、異邦人の救いが神のご計画であったことを確認し、律法を大切にする者たちに対する配慮は求めつつも、異邦人たちが割礼なしに救われ、クリスチャンになるのだということを決定したのでした。
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使徒行伝 15章22〜29節 2013年6月23日 |
使徒たちや長老たちは、全教会と協議した末、お互の中から人々を選んで、・・・派遣することに決めた。選ばれたのは、バルサバというユダとシラスとであったが、いずれも兄弟たちの間で重んじられていた人たちであった。(22) さて、教会は議論をしめくくった上で、書状を用意します。そしてそれをパウロたちに託すだけでなく、エルサレム教会からの使節を送ることを決定します。選ばれた使節はバルサバというユダとシラスであり、いずれもエルサレム教会の中で重んじられている人でした。
それはエルサレムからアンテオケに下った者たちがアンテオケ教会に混乱をもたらしたことに対する謝罪と共に、決定事項を誤解のないように伝えるためでした。またこのエルサレム教会からの使節はエルサレム教会が、同じ主に仕え、同じ信仰に立つ兄弟姉妹としてアンテオケ教会の、特に割礼を受けていない異邦人キリスト者たちを受け入れていることの証しともなったはずです。
書状の中では決定事項を端的に伝えると共に、アンテオケ教会のパウロとバルナバについて「主イエス・キリストのために、その命を投げ出した人々」と賛辞を送ります。エルサレム教会の牧会的な配慮に満ちた手紙です。
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使徒行伝 15章30〜35節 2013年6月24日 |
ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。(32) さて、エルサレム会議での結論を書いた書状を受け取ったアンテオケ教会の人々はとても喜びます。手紙もそうですが、そこにやってきたユダとシラスも、アンテオケ教会の人々に大きな励ましと喜びとなったのでしょう。このユダとシラスは共に預言者だったと聖書は言います。預言者とは未来のことを予告するというよりも、神の言を聞いてそれを人々に語るという賜物と働きを託されている人のことで、今で言うと説教者ということになります。
この使節はしばらくアンテオケで過ごした後、またエルサレムに戻ります。このような交流はエルサレム教会とアンテオケ教会の間に温かい交わりをもたらしたことでしょう。実際、この使節の一人だったシラスはアンテオケに住むようになり、パウロとの間にも深い信頼関係を構築していく中で、アンテオケ教会から祈りの中で送り出されていく、パウロの次の伝道旅行のパートナーとなっていくのです。
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使徒行伝 15章36〜41節 2013年6月25日 |
こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。(39〜40) さてエルサレム会議の結論がアンテオケにもたらされ、教会がまた落ち着いた歩みを進めようとしていた時、パウロは、第一次伝道旅行で訪ねた町々、そこにできた教会を巡回してきたいと思いました。その思いはバルナバも同じです。しかし二人の間に争論が起こります。それはヨハネ・マルコを連れて行くかどうかということでした。パウロは途中で一人で帰ってしまったような男は連れて行きたくないと主張し、バルナバはこの青年を連れて行って育てようと主張したのでしょう、マお互いにどうしても折り合えないという中でパウロとバルナバは二チームに分かれて巡回伝道をすることにします。教会もそのことを受け止め、祈ってそれぞれのチームを送り出したのでした。
パウロが心が狭いとか、バルナバが身内に甘いとかいうことではありません。神はそれぞれの賜物を生かしてその宣教の業を進めようとしておられたのです。
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