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Tヨハネ 1章1〜4節 2014年10月25日 |
それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。(3)
今日からヨハネの手紙を読みます。このヨハネは主イエスの十二弟子のひとりのヨハネで、おそらく、この手紙が書かれたのはすでに他の弟子たちが殉教してしまった一世紀の終わり頃だろうとされています。主イエスの弟子として過ごした頃には若かったヨハネもかなりの高齢になっていました。主イエスの言葉を直接聞いた世代はほとんど過ぎ去ろうとしています。しかし、教会は外からの迫害と共に、誤った教えの嵐にさらされていました。
ヨハネが自分たちが信じる福音が決して精神的・霊的なものではなく、肉体をとって来てくださった主イエスによってもたらされたものであることをまず宣言します。この福音は聞き、目で見、手で触ることのできる主イエスによってもたらされたものであり、まさに、私たちを父とその御子との間にある交わりの中に導き入れるものです。教会の交わりとは、まさに父なる神と御子イエスの交わりに加えられることなのです。
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Tヨハネ 1章5〜10節 2014年10月26日 |
しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。(7)
一世紀の終わり頃に教会を脅かしていた間違った教えには、ギリシャ的な影響の中にあって、霊は善だが、肉は悪であるとして、霊と肉を分け、霊が救われるのだから肉は何をしてもよいとするものがありました。ヨハネははっきりと神は光なのだから、神との交わりに生きる者も光の中を歩むべきだと言います。「歩く」とは継続的な生活の中にあって神の御心の中にとどまり、神に従って生きていくことです。神との正しい関係は私たちお互いにも、よい交わりをもたらします。
しかし、神の光の中にとどまろうとすると、私たちの罪が見えてきます。自分の罪深さを知るのは決して楽しいことではありません。しかし、それでも神の光の中にとどまることです。罪を認めて告白し、悔い改めて、神のゆるしと救いにすがりましょう。それが私たちにとっての真実です。そして真実な神は、御子イエスの血によって私たちをゆるし、きよめてくださるのです。
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