chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
新約聖書
マタイによる福音書
マルコによる福音書
ルカによる福音書
ヨハネによる福音書
使徒行伝
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
  11 12 13 14 15 16
  17 18 19 20 21 22
  23 24 25 26 27 28
ローマ人への手紙
コリント人への第一の手紙
コリント人への第二の手紙
ガリラヤ人への手紙
エペソ人への手紙
ピリピ人への手紙
コロサイ人への手紙
テサロニケ人への第一の手紙
テサロニケ人への第二の手紙
テモテへの第一の手紙
テモテへの第二の手紙
テトスへの手紙
ピレモンへの手紙
ヘブル人への手紙
ヤコブの手紙
ペテロの第一の手紙
ペテロの第二の手紙
ヨハネの第一の手紙
ヨハネの第二の手紙
ヨハネの第三の手紙
ユダの手紙
ヨハネの黙示録
使徒行伝 22章1〜5節     2013年7月26日

そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。(4) 

 パウロはそこでヘブル語で弁明を始めます。そこに集まって口々にパウロを非難していた人々の中には、何も事情が分かっていなかった人たちも多く含まれていたでしょうから、パウロがヘブル語で話し始めた時には、人々は静粛になって彼の言葉に耳を傾けたのでした。パウロは自分がエルサレムで育ったこと、ガマリエルの門下生であること、律法に対して非常に厳し薫陶を受けて育ったこと、イエスを信じる者たちを迫害し、投獄したり、殺したりしていたことを語ったのでした。
 パウロは異邦人社会で主イエスを宣べ伝えて、とても力強い働きをしていました。パウロが語っていた回心前の話はさかのぼること二五年前のことです。その頃のパウロを知らない人たちも増えている中で、聞き手たちの中には驚きをもってパウロの話を聞いていた人たちもいたはずです。
 私たちは主イエスと出会う前、どのようなものであり、どのような生き方をしていたでしょうか。主はそんな私たちをあがない、救ってくださったのです。

使徒行伝 22章6〜11節     2013年7月27日

『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』『主よ、あなたはどなたですか』『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』(7〜8)

 パウロはその時のことを忘れることはできませんでした。その日を昨日のことのように思い起こす事ができたことでしょう。まさにそれは彼の信仰者としての原点でした。パウロは、主イエスを信じる者たちを縛り上げてエルサレムに引っ張っていくために、ダマスコに向かっていました。しかし、真昼頃、明るい光がパウロをめぐり照らし、天から声がします。それは復活・昇天された主イエスご自身の呼びかける声でした。
 主イエスは「サウロ、サウロ」と彼の名を呼び、自分のことを「ナザレ人イエス」と宣言されました。それはまさにパウロが迫害していた名前でした。パウロはキリスト信者を迫害することが神に仕えることになると考えていましたが、実は、彼は全く逆のことをしていたのです。彼は連れの者に手を引かれながらダマスコの町に入って行きました。そして祈りながら。神が次に語られることを、待つのでした。

使徒行伝 22章12〜16節     2013年7月28日

律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。(12〜13)

 ダマスコの町のクリスチャンにアナニヤ、という名の人がいました。パウロはこのアナニヤのことを「律法に忠実」、「ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよい人」と言います。このアナニヤがパウロのために祈り、またパウロを信仰へと導いてくれたのでした。パウロは決して、キリスト者は律法を軽んじたり、また否定しているのではないことを語っています。アナニヤもパウロも旧約聖書に語られている自分たちの先祖の神を信じ、このお方に仕えているのです。
 しかし、このダマスコ途上の経験を通して彼が知ったのは彼が憎み、排斥していたイエスこそが、義人であって、自分を罪から救ってくださる救い主だということでした。パウロはとても多くのことを学んだ学者であり、同時に実践家でした。自分が信じていたことが全く逆だったということを理解し、認めるためにはプライドを捨てなければならなかったでしょう。しかし、彼はすぐにバプテスマを受けて、主イエスを信じる者としてスタートしたのでした。

使徒行伝 22章17〜21節     2013年7月29日

「すると、主がわたしに言われた、『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』」。(21) 

 パウロが主イエスを信じた時、彼はすぐに今度はイエスこそが旧約聖書に約束されていた救い主、メシヤなのだ、と語り始めます。しかしパウロ自身もかつてはそうであったように、主イエスを受け入れる人は多くはありませんでした。これからパウロはどうしたらよいのでしょう。パウロにも迷いがあったことと思います。今まで、自分は教会を迫害し、主イエスを否定してきたのです。そのことを人々はよく知っています。今さら、どうして人々は彼の語る福音を信じてくれるでしょう。またそもそも各地の教会の人々がパウロを信じ、受け入れるのがどんなに難しいか、パウロもよく知っていたことでしょう。
 しかし、そんなパウロに神はエルサレムから出て行くようにと迫られました。神はパウロを遠く異邦の民に遣わされたのです。まさにこれがパウロが異邦人の町々で福音を伝えている理由でした。ユダヤ人たちが拒んだ主イエスをパウロは異邦人の間で宣べ伝えていたのです。

使徒行伝 22章22〜30節     2013年7月30日

そこで、パウロを取り調べようとしていた人たちは、ただちに彼から身を引いた。千卒長も、パウロがローマの市民であること、また、そういう人を縛っていたことがわかって、恐れた。(29)

 ここまで神妙におとなしくパウロの証しを聞いていた人たちが、神がパウロを『遠く異邦の民に遣わす』と言われたという下りまで来た時に、「こんな男は生かしておくべきではない」と騒ぎ出します。ユダヤ人たちには、神が選び愛しておられるのはあくまでも自分たちであって、異邦人ではない、という強い思いがあったのでしょう。確かに神はユダヤ人を選ばれました。ユダヤ人は神に愛され、選ばれた民です。しかし、それはあくまでも、彼らが神に従うことによって、神の恵み深いことが全世界にあらわされるためでした。
 しかし、千卒長は、なぜユダヤ人たちがこんなにパウロに対して怒り狂っているのか理解できません。パウロから理由を聞き出そうとパウロを拷問にかけようとします。しかし、ローマの市民権をもっていたパウロはすんでのところでむち打ちをまぬかれたのでした。パウロが生まれる前からの神の深いご計画と守りがあったのです。


礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに